愛していると言ってくれ




 秋が深まった頃、水谷が風邪をひいた。
 よくよく考えてみれば朝練のときから大人しかったような気がするが、日中の間に一気に悪化したらしく、一日の授業がすべて終わる頃には咳が出るようになっていた。
「今日のメニューってなんだったっけ。花井覚えてる?」
「あー今日は確か……って、水谷オマエさ……」
「何?花井」
「オマエ今日行くつもりなのか?」
 花井としては暗に休めと言ったつもりだったが、水谷は事も無げに答えた。
「うん、フツーに行くよ」
 部活に行こうとしてのろのろとカバンを持つ水谷に、見かねた阿部が花井に変わって声をかけた。
「水谷、オマエ今日帰れ」
「いや、練習出てくって……。ヘーキ」
 阿部は花井よりもかなりはっきりした物言いをするが、その言葉にも水谷は意見を変えない。
「いーから帰れって」
「オレだけ休むわけにはいかないって!」
 重ねて帰れと勧められ、語気が荒くなった阿部に対して負けじと水谷も声を荒げる。
「こんくらい大丈夫だし」
「そー見えねーから言ってんだ」
「オレが平気っつってんだから平気なの!」
「咳してて大丈夫なワケあっかよ!」
 風邪はひき始めが肝心だ。たかが風邪と思って油断すると何時までも治らないことが多い。特にグラウンドは砂埃が多い分、長引かせやすい。
「ホントだいじょーぶだってば」
 頑なに帰宅を拒む水谷の態度に、阿部が舌打ちをしたのが聞こえた。
 危ない雰囲気を感じて口をはさもうとしたとき、花井より一瞬早く阿部が口を開いた。
「周りにうつったらどーすんだ」
 阿部らしい正論に、水谷も言葉につまる。
「迷惑かけんな」
「………」
 他の部員にうつったら大変であることは水谷にも充分わかっている。重ねられた言葉に水谷も言い返せない。
「………。休んだらモモカンが怒るし」
「モモカンにはオレからちゃんと伝えとくからよ」
 阿部の言い方もあまりに救いようがない気もしてフォローを入れる。
 すでにひいてしまったものはモモカンにもどうしようもない。あきらめて静養するのが一番だと思う。
「大丈夫だから、ゆっくり休め。んで明日は元気になって来いよ」
「で、でも休んだら……」
「休んだらなんだっつーんだ?」
 少し潤んだように見える水谷の瞳が、いつになく必死な様子で見上げてくる。
「休んだらオレ……」
「休んだらなんだ」
 何かを告げようとした水谷は、やはり思い直したように口をつぐんだ。かと思えば、また口を開こうとする。
「だ、だから休んだら……」
「だから、休んだらなんだっつーんだ!」
「……な、なんでもナイ」
 あきらめたように下を向いて心なしかさっきよりも足取りのフラフラした水谷が、部室に置いたままの体操着を取りに行くためとぼとぼと教室を出る様子を阿部と二人して見やった。
 帰っていく水谷を少し後ろから追いながら考える。
「最後に水谷が言いかけたのって何だと思う?」
「どーせ“練習休んだら遅れる……”ってとこじゃねー?」
「“練習休んだら怒られる”じゃなくてか?」
「いーや、アイツ今アセってるからな。多分風邪ひいいてても休みたくなかったろーぜ」
「焦ってる?」
 阿部の言いたいことがよくわからずに、花井は阿部に視線で先を促した。誰でも休みがもらえれば嬉しい。確かに少々体調が悪い程度では休みたくないのも事実ではあるが、休みがもらえるならばありがたい。
「そー。全国制覇に向けて、自分の力量と比べてスゲー焦ってる」
「あー」
「水谷だってもっと上目指したいんだろ。置いてかれたくねーっつか。モモカンは怪我は気の緩みのせいだっつってたけど、風邪だって似たよーなモンだしな」
「風邪ひくと怒られるってことか?」
「ちっと違う」
 風邪をひくというのは自己管理が足りないことでもある。
 阿部の推察によると、水谷が練習に出たい理由はモモカンが怖いとかではなく、それなりに水谷も向上心を持っているからということだった。自分の力が及ばない点が多くあるのを知っているからこそ、皆に遅れたくない。だから出来れば練習も休みたくないし、休めない。自分が風邪をひいているのもあまり認めたくない。風邪をひくのは鍛え方が足りない・精神が緩んでいる証拠になり、そう思われるのも嫌だ。
「アイツはアイツなりに一生懸命なんだろ。別に1日休んでもダレもナンもいわねっつの。それにさっさと本調子に戻ってくれねーとこっちもこまんだよ」
「だからってアレはきついだろ」
「バーカ。うつされてもフツーに困るしよ」
「そりゃそーだけどよ、オマエの言い方ももうちょっとあんじゃね?」
「アメは花井と栄口に頼むわ。オレはムチってことで」
 グラウンドへの道すがら、阿部は“3つのあ”を教えてくれた。
「“あ”のつく言葉あげてみな」
「“あ”かー。アイス・ありがとう・飴・あー、降る雨もあるな」
 改めて聞かれると、なかなかパっとは浮かんでこない。
「じゃあ形容詞でって限定すると?」
「甘い・暑い・赤いとか」
「ダメだ、正解が一つもねーのって、キャプテンとしてはどーなんだ花井」
「じゃあ正解は」
「“あわてない・あせらない・あきらめない”順不同だ」
「おー、なるほど」
 阿部の言う“3つのあ”はごく簡単なことだ。でもときにはその簡単なことが一番難しい。
「結局は、さっさと治すのが一番なんだ。水谷なら少々休んでも取り戻せるだろ」
 それは確かにそうだと思う。怪我を乗り越えた阿部の言葉だからこそ、重みもある。
「なー阿部、それ水谷に直接言ってやれよ」
「だから、オレはムチなんだってさっきもいったろ?」
 阿部の表情を見た花井には、阿部がそこまでムチを意識しているとは思えなかった。察するに、正面切って伝えるのが気恥ずかしいだけなのだ。
「阿部ってさ、なんだかんだ水谷のこと好きだろ」
「ハァ!?」
 ここまでのやり取りを見たまま正直に感想を述べてみたら、先ほどまでとは打って変わって阿部は心底嫌そうな顔をした。
「どこ見たらそんな思うんだ?」
「まー全体的に?」
「気持ちワリー」
 きつい言葉を投げかけてみても、阿部が水谷をよく見ているのは間違いなく、そしてよく理解しているということも疑いようはない。
 なんだかんだでいいコンビに違いないのだ。
「ま、水谷にはそれとなく伝えといてやるよ」
「おー、ヨロシク頼むわ」
 監督へ水谷が欠席することを伝えなくてはならないが、花井はさしあたって歩みを進める。
少し先を行く肩を落としたままのチームメイトに追いついて、阿部の言葉を伝えてやるために。