愛すべき二つのモチーフ




「今日はあっついな〜」
「気温じゃなくて、コリャ湿気だよな」
「そうそう。だって梅雨まっさなかだし」
(ジメジメして気持ちワリーな)
「こんな日はアイスがうまいよな!」
「う、ん。おいし、いよね!」
 もちろんアイスでもいい。でもこんな日はプールに飛び込んだらどれほど気持ちがいいだろう。頭から水をかぶるだけでもきっとずいぶん涼しい。
 梅雨という季節にふさわしくしばらく降り続いていた雨がここ二・三日やんでいる。昨日はグラウンド整備にかなりの時間を費やしてしまったが、今日は久しぶりにグラウンドを使った練習できそうだ。
 残念ながら今日は練習を始める前にあるものを取りに行かなくてはいけないが。


 西浦野球部は新設ほやほやの部活なので、当然のことながら部費は少ない。幸いにして熱心な監督のおかげで必要な用具などを揃えることが出来ているが、そのお金だって湯水のように湧いてくるわけではない。
 なんとかピッチングマシンのいいものを一台購入したが、その他の器具はすべて後回しだ。ただ、いいマシンがなければいい練習ができないかというと、実はそうでもなかったりする。要はやり方を工夫すればいい。
「カントクー、コレ全部ですか?」
「うん、全部よろしく!」
 目の前には古タイヤの山がそびえる。積み上げられたタイヤは現部員の数よりも明らかに多い。
「………。なんだってこんなたくさん」
「いくらあっても困らないからね!タイヤは使い道が多いから」
 監督がトレーニングのために古タイヤを手に入れてきた。ただ配達に来たトラックの運ちゃんが間違えて校門前に降ろしてしまったせいで、はるばる離れた第二グラウンドから古タイヤを引き取りにやってきたというわけだ。
「というわけで、ちょっと人数揃ってないけど頑張って。用務員さんに台車借りる手はずは整えてあるの。花井くん、一緒に来てくれる?」
 今日は6月のなんてことはない普通の日だが1組と3組の姿がまだ見えないのは、珍しくクラスのHRが長引いているせいかもしれない。
「阿部、台車押すの手伝ってくれ。二台あるらしーから」
「おー」
 職員室へ向かった監督の後を追う花井と阿部の後を、さらに田島が追う。
「待って、オレも行く!」
「いーけど、なんで?」
「いーからいーから!」
 面倒な手伝いをわざわざ買って出た田島の意図が花井にはわからないらしいが、いつも一緒にいる身としては田島が台車の上に乗りたいだけということはよくわかる。
(この暑いのに元気だよ)
「三橋は後でなー」
 遠ざかりつつぶんぶんと手を振る田島の姿が校舎の影に消えてしまった。三人ぽっちになって古タイヤの前にいると、下校生徒の好奇の視線を感じてしまう。
「ね、泉。このタイヤって押すの?引くの?」
「は?水谷の中学校タイヤ使ってねーの?」
「うん、うちの野球部にはなかった。陸上部がやってたのを見たことはあるけど」
「ふーん、三橋は?」
「オ、レも、ないよ!」
「基本的には引くんだろうぜ。ホラ、モモカンが置いてったロープがあるだろ?まずロープをタイヤにくくりつけて、そんで腰に巻く」
 三人でタイヤの番をしているのもつまらない。一番上のタイヤを下ろし、中学の記憶を頼りに再現してみる。
(しっかり結ばなきゃすぐ取れちまうんだよな)
「ほら、こーして結ぶと簡単には取れねーんだ」
「へー。……って泉、何でオレとタイヤを結んでんの?」
「三橋に見せてやろーと思って」
「う、おっ?」
「理由になってないし!三橋も止めてよ!」
「え、えと……」
 水谷は急いで体をひねるがもう遅い。
「よしできた。こんなもんだろ」
「こんなもんだろ、ってさぁ」
 きつく結んだロープはそう簡単には解けない。水谷にやって見せたのが一番確実な方法だが、練習のたびにロープを結んで解くのは大変だ。普通はわっかの中に入ってタイヤを引っ張ることの方が多い。
「ちょ、これ取れないんだけど!」
「まーな。固く結んどいてやったから」
「マジかよ〜。オレどうすればいいのさ」
「そのまま引っ張ってけば?」
「第二グラウンドまで!?」
「そ」
 もう1本のロープを輪に結んで三橋に見せてやる。
「ホラ三橋、フツーはこーすんだ」
「へ、へー」
「なんでオレにはそうしないのさ!」
「まーいーじゃん」
(簡単に取れるかよ、バーカ)
 あせって水谷は後ろに手を回すが、そう簡単に取れるような結び方はしていない。
「あーもー、泉アイスおごれよー」
 ぶちぶちと文句をたらす水谷に、思わず言葉が口をついて出る。
「競争するか?」
 どうせ台車が届くまでは何もすることがない。多少時間がかかっているのか、姿はまだ見えない。
「マジで?」
 今日は暑い。夏のようにカラっとした天気ではなく、ジメジメと体にまとわり付くような暑さ。こんな日は何もせずにじっとしていることの方が苦痛だ。
「オレに買ったらたけーアイスおごってやるよ。その代わりオレが買ったらお前が肉まんおごれよ?」
「この暑いのに肉まん?じゃ、じゃあ三人でやろうよ、三橋も」
「う、ひっ?」
「バーカ。暑い日は暑いもんが体にいいんだよ。アイスばっか食ってっから腹壊すんだ。それに三橋もやったらタイヤ番する人間が誰もいなくなるだろーが」
「そっか。でもオレはアイスがいい。アイスな!一番高いのヨロシク」
「じゃあオレの肉まんは『超・特上』だな」
「……。『超・特上』……?」
「三橋、合図」
「う、ん!」
 いつも帰りに寄るコンビニに売られている肉まんは『普通、特上、超・特上』の三種類。特上は普通の倍で、超・特上は特上のさらに倍だと思えば分かりやすい。特上でも中身の餡は多いしジューシーでウマイ。夏でも決して店先から消えることのない三種類の肉まんはそのコンビにではたいそう評判の品だが、『超・特上』だけはいつも見ているだけで食べたことがない。おいしいのはわかっているが、その分値が張る品なのだ。
水 谷は『超・特上』に恐れをなしたか「一番高いアイスじゃなくてもいい」なんて言い出したが、とりあえずスタートラインに並ばせる。
 有無を言わさず三橋の合図で一歩踏み出してしまえば水谷も慌てて後を追ってくるだろう。
「よーい、ス、スタート!」
「それ!」
「あ、泉待て!」
 校門から第二グラウンドまでの道のりは遠く、歩くのは自転車通学にして以来だ。そして久しぶりのタイヤ引きは記憶にあるよりはるかに苦しかった。
 高い湿気も手伝って、見る間に汗がしたたってくる。
(キツー)
 振り向くと水谷はタイヤ三つ分ほど遅れている。気を抜けば逆転されてもおかしくない距離だ。コンビニで一番高いアイスがかかっているのだから、こちらとしても負けられはしない。
「い、ずみー。ちょっと休憩……」
「休んでいーぜ。『超・特上』よろしく」
「やだ!」
 食べ物への執念か、水谷はあきらめない。
 その後ろから台車がやってくるのが見えた。やはり押す方がはるかに早いようで、もうすぐにでも追いつかれてしまいそうだ。
(チクショー、負けられっか!)
「アイス!」
「肉まん!」
 練習後には至福のひと時が待っている。なんとしても第二グラウンドまでたどり着かなければ!
「やってるね、いい心がけだよ!」
 自主練だと思ったのか監督は上機嫌だ。動機を知っても誉めてくれるだろうか。
「先に運んでおこうかと……」
「少しでも台車が軽くなるかと……」
 よくよく考えれば、超・特上肉まんくらい自分でも買えないことはない。買わないが、高いといってもたかが肉まんだ。わざわざ勝負の賞品にする必要なんてきっとなかった。
 タイヤにしても、引きずる必要はなかったはずだ。第二グラウンドまで早く着いた方が勝ちなら、他にも方法はあった。
 もっと早く、なおかつ楽に運べる方法をオレも水谷もきっと知ってる。
 台車を押す阿部が追いついて隣に並んだ。汗だくになってタイヤを引くオレらを見て、まるで宇宙人でも見たかのような表情を浮かべている。
「なぁ、お前らさ」
(わー、何か言いそう)
 ちらりと嫌な予感が頭をかすめる。
「転がせば?」
「………」
「………」
 言ってしまった。阿部は一番言ってはいけないことを言ってしまった。
 転がした方がいいだろうということは薄々わかっていたけど、なるべく考えないようにしていたのに。なにより自分から水谷に「転がさねーか?」なんて言えるわけがない。
『阿部のバカ野郎!』
 珍しく息の合ったオレと水谷の絶叫は、第二グラウンドにいた残りのメンバーにも聞こえたらしい。