青い空と高い太陽




「やっば、遅くなった……」
 息せき切って着替えにやってきた部室。もう誰もいないだろうと思っていた部室には、まだ一人だけ部員が残っていた。
「あれ、水谷?まだいたんだ?」
「学祭のレンラクジコーで。沖は?」
「あー、そろそろバタバタするよね。オレも似たよーなもん」
 花井が一年生ながら野球部の主将であること、そして阿部がクラスよりは部活優先であることは、どちらも7組中に知れ渡っている事実。いつの間にかクラスの連絡事項は基本的に篠岡へ回され、篠岡が時間的に難しい場合はその役目を水谷が負う。
 ちなみに9組では、篠岡と水谷のポジションはすべて応援団長浜田が担っていると聞く。
「西広は?」
「あ、西広はもう行ってる。打ち合わせに2人いてももったいないから、相談してオレだけってことになって」
「なるほど」
「オレらがあんまり準備抜けるモンだからさ。連絡事項くらい聞いとかないわけにはいかないなぁ、と思って」
「あー、3組でもそーなんだ?実は7組でも風当たりがちょっとキツイんだよね」
 沖が部室にやってきた水谷はすでに準備をほぼ終えていたが、いまだ部室にとどまっているところを見ると沖が着替え終わるのを待ってくれているらしい。
 なるべく水谷を待たせないように沖も急いで練習着に着替えながら、それでもせっかく学祭の話題が出たものだからついついそのまま話を続けてしまう。何しろ部室を2人で独占できる機会はめったにない。
 お互いが出る種目や応援合戦の練習がどこまで進んでいるかなど、敵同士とはいえ興味もある。そして普段あまり準備には出られないので、情報が漏れる心配もあまりないだろう。
「そーは言ってもさぁ、実はドコまでできてるかとか、全然知らなかったりして……」
「それわかるかも。さっきの話し合いでも全然話見えなくって。んでちょっと聞いたら、『え、そんなことも知らないの?』って目で見られるし……。いづらくなってそのまま抜けてきちゃったよ」
「ずっと練習参加してるメンツに比べたら、オレらってなんもできないよなー」
「ホント、ぜんっぜんできない」
 お互いに顔を見合わせて苦笑をもらす。そして話題はそのままクラスと部活の両立について移っていく。
 宿題も週末に出される課題も一応提出している。予習もして、授業中も頑張って起きている。
 部活はどこよりもやりがいがあり、そのために皆が熱心に動き出している。沖にとってたった一つそこに足りないものがあるとするなら、それは学校生活そのものだった。
「水谷さ、今何が大事だ?」
 野球部の練習がそれなりに大変なのは、あらかじめわかっていたことだ。まさか野球部が発足したばかりだとはさすがに思いもしなかったが、そもそも運動部はどの部活でもどの学校でも似たような練習をしている。
(でも、西浦は熱心すぎる)
 クラス行事にもほとんど参加できない。正直なところ、たまには野球部以外の友人と遊びに行ったりお互いの家に泊まりあったりしたい。でも野球部は夜も遅くて朝も早いから、どうしたって同じ野球部の連中と一緒にいた方が都合がいいのだ。
「今大事なの?……やっぱ、ヤキュー?」
「……だよなぁ」
 予想通りの答えに、やはり、と思う反面ため息がひとつ。
「なに、沖は何がイチバンなわけ?ヤキューじゃないとか?」
「いやいや、そりゃ野球は大事だけど……」
 それは嘘ではない。沖にとっても水谷にとっても、野球は生活の大部分を占めている。ずっと座っているだけの授業より時間は短いにせよ、密度としてはよほど濃い。
「けど?」
「………」
(野球は大事だけど、野球がイチバンじゃない。水谷もオレと一緒だと思ってたのに)
 水谷には悪いが、彼は見た目からして野球少年とはほど遠い風貌をしている。他の部員の誰よりも今時で、水谷には野球以外にも興味のあることがたくさんあるだろう、と勝手に思っていた。
「オレさ、クラスの準備抜けてくるの心苦しいんだよね〜」
「………。あーそりゃまぁ……」
「心苦しいってのもあるけど、ついでに寂しいってのもあってさ」
「………?」
 荷物を持って行動を開始する水谷を追い、鍵を取り付けて自転車へ向かう。
「部活は部活でいーんだけど、クラス行事もほとんど行かないじゃん?水谷は、そーいうのたまにつまらないと思ったりしない?」
「そうだなぁ。でも部活のおかげ?今はそこまで思わないかも」
「そっか……」
 おそらくこの話を他の部員にしても、わかってはもらえないと思う。
 三橋や田島は、野球が本当に一番大切だと胸を張って言い切れるタイプ。続いて阿部のような、あまり学校行事に興味がないだろうと思われるタイプ。そして学校行事にそこそこ興味はあるけども、そこはしっかりと割り切れるタイプ。最後に、どちらとも踏ん切りがつかなくて迷っているタイプ。
 西浦の部員10人をこの4つにそれぞれ分類するならば、自分は明らかに最後のタイプだろうと沖は思う。そしてもう一人、水谷も。
 だから水谷ならわかってくれるかもしれないと思っていたのに。
(オレよりずっと割り切れてる)
「例えば、遊ぶんならいつでもできっけど、部活といえばコーコーセーだろ?」
「その理屈でいくと、体育祭とかだって高校生じゃなきゃできなくない?」
「あー、そこ突っつかれるとイタイから止めて沖」
 心底残念そうな水谷の顔を見て、先ほどの発言が口にしてはいけないことだったとようやく気づく。
「オレだってさー、学校祭とか体育祭とか、ホントはスッゲー参加したい」
 水谷は足元の土をグラウンドへ向けて坂を漕ぐ。走り抜けたあとには細かい砂が風に舞った。
(あ……、水谷やっぱりオレと同じ?)
「当日もだけど、あーいうのは準備期間から全部含めてのお祭りなカンジ」
 学校生活も大事にしたくて、それでも部活を第一に選んで、全国制覇のためだからと自分を納得させている。
「ごめん、失言でした」
「いーいよ。引退したら思う存分楽しめるかもだし」
 クラスメートにはあきらめまじりの小言を聞かされ、罪悪感を感じながらも抜けて部活に向かう。
 では嫌々部活に参加しているのかと問われれば、それはないと断言できる。全国制覇に向けてできることはなんだってやってみせる。それくらいの覚悟はできている。でもいつまでもいじいじと、あきらめきれないだけ。
「沖と西広も、当日はイロイロ借り出されんデショ?」
「そうなんだよ、いつの間にか参加種目決まっちゃっててさー」
「準備はほとんど役立たずだけど、その分当日は大活躍しちゃうよ?オレら」
「だといいけど」
(活躍できればいいけど……。そこまで足速いわけじゃないから)
 遅い方だとは思わないが、田島のように注目されるほど俊足ではない。このモヤモヤした気持ちを払拭できる程度の活躍ができるかは、自分でもわからないけれど。
 一生懸命自転車を漕いで向かう先には、すでに練習を開始してグラウンドに散った仲間が待っている。
「それにオレらはヤキューで大活躍するってもう決まってんだし、沖もそれでいいだろ?」
 自転車から降り、水谷はVサインと共に笑う。その手の平にできていた豆も、今ではすっかり固くなっている。
 あまりの自信満々ぶりに、思わずあんぐりと口をあける。
「水谷……?どっから沸いて来るんだその自信は」
「だって今やってる。沖だって一緒だろ?」
「……うん、それは確かに」
 教室の中の暖かい空気の中にいるより、グラウンドの風を何より心地よいと感じるようになった。暑い日も寒い日もボールを追いかけて走る生活は、これからも多分続く。
「オレらは野球で大活躍、か。それもいいかも」
「そーそー、その意気」
 そして先に待つ仲間を目指して、今日も走る。