閉じ込める、閉じ込められる






 ふと気づけば、雨の音がしていた。
 自分以外に動く者のない部屋ではすべてがこもる。空調はXの管理下にあり、不快を伴うことは決してないはずだけれど。少しでも空気の流れを感じたくて、窓を開け放したのはもう二時間は前のこと。
 その開け放した窓からだろう、ざあざあと雨音が耳についた。雨粒が入り込んでいるとしたら後がめんどうだ。閉めに行くべきだろうか、それとも――。
 一度途切れた集中力はしばらく戻ってきそうになく、そのせいで重さを感じていた頭がもう限界だと言わんばかりに痛みを訴えてくる。累はキーボードから手を離し、眉間を強く揉んだ。モニタの細かい文字列を追うのはひどく疲れるものだから。
 窓を開けるためにデスクを離れたときはまだ雨の気配は遠かったはずなのに、いったいいつから降っていたのだろう。そんな小さなことを考えるのも億劫だった。胸のうちに重く濁る息を深く吐いて逃がし、眉間に手をやる。一度気づいてしまったそれは存在を主張するように領土を広げ、累は顔をゆがめた。
 痛み止めなら薬箱にあったはずだ、と思う。けれど最後にそれに頼ったのはもうずいぶんと前のことで、そうなると俄然消費期限のほうが気になってくる。
 どのみち薬を飲んでも効きはじめるにはいくらか時間が必要だ。それなら飲めるかどうかもわからない薬を取りに立ち上がるより、このまま残る作業を進めてしまう方が効率は良い気がする。
 数日前からGALAX内を騒がすハッキング集団がいた。彼らに悪意があったかはわからない。愉快犯でしかない可能性も高かったが、厳重に隔離していたはずのバックアップ先にまで入り込まれたとわかったときには、さすがの累もGALAXの終わりを覚悟した。
 たった一人でXをプログラムし、世界の猛者を相手に腕をみがいた日々のことが一瞬にして頭を過ぎる。幸いにして穴からバグを送りこまれることはなく、情報の改組もごくわずかにとどまり、現在は修復の真っ最中である。
 GALAXのシステムを作り立ち上げたのは累でも、これだけの規模となってしまえば一人でそのすべてに対処することは難しい。いくら優秀なXがサポートとしてついていても。だから今では数名の技術者にいくらかの権限を与え、その管理をゆだねている。累とXが選んだだけあって、彼らは優秀だ。
『累、もう大丈夫ですよ』
「じゃあ後は頼もうかな。……いや、どうしようか」
『おまかせください、累』
 ここまで修復が進めば、もう累がいなくても大丈夫だとXは言う。大幅に削れている累の睡眠と体力を心配しているのだとわかる。
 確かにそろそろ状況に見切りをつけて休んでも良いかもしれないとは累も思う。ただXにそうと促されても、おいそれと休む気にはなれなかった。GALAXの危機なんて今までにそれこそいくつだってあったし、気を抜いた途端に状況が悪化するなんてこともままある。
 寝不足の頭ではまた何かあっても対処が遅れるだけなのだとはわかっている。けれど累はGALAXの責任者であり、さらに言えば、トップに立つからこそ、休息をとるべきは累ではなく現場に立つ技術者たちなのだと思うのだ。
 やはりもう少し状況が落ち着くのを待とう。休むのは、事態が確実に終息したのを確認してからでもかまわないだろう。どうせ万全でない体調を抱えているのだから、そこに今さらいくらかの頭痛が追加されたところでパフォーマンスが劇的に落ちるとも思えない。
 このまま起きていると決めたところで少しでも痛みをやり過ごそうと目を閉じてみるけれど、光を遮断した程度ではなんの効果もなく、かえってざあざあと耳に飛び込んでくる雨音がひどくうるさく、わずらわしくてならない。
 苛々と眉間をもんでいると、累の耳が雨音に混じって扉の開閉音を聞きとった。
「………」
 家主の許しもなくここへやってくることのできる人物はごく限られている。決して急いではいない、けれど確実に累のいるこの部屋へと歩みを進める足音がひとつ。
「お邪魔します」
 濡れた肩を払いながらの、取ってつけたような白々しい挨拶。勝手に入ってきておいて今さらなんだと聞き流すことにした。
 ふわりと鼻先をかすめた雨のにおいで思い出す。そうだった、外は雨が降っている。ざあざあと、大きな雨音が累の耳をくすぐる。
「なにか、用?」
「終わったと聞いていたんですが。何をしているのですか、爾乃美家累」
「……ねえ、なにか用なの」
 それ以外、累に返せる言葉はない。あまりいたずらに言葉を重ねたくはなかった。彼は敏い。言葉を交わせば交わすだけ、伝えるつもりがないことまで引きずり出されてしまうのだ。
 どうやったら追い返せるだろう。不法侵入でXに通報してもらえばいいだろうかと物騒なことを考えて、モニタへ視線を流す。
 その視線を追った彼が言う。
「それ、今やらなくてはならないわけではないでしょう」
「それは、そう、だけど」
 緊急を要すのだ。そう言っていれば彼もあきらめただろうかと思っても遅い。
「君でなければできない作業でもないでしょう」
「それも、そう、だけど」
「終わったのなら休むべきです」
「放っておいてくれないか。鈴木理詰夢」
 睡眠が足りていないのも、体調が良いと胸を張って言えないのも事実である。事実ではあるが、頭ごなしに言われるのは気に入らない。
「ああ、そんなに休むのが嫌だと言うのなら、宮うつつに――彼女に来てもらいますか。この時間ならマンションにいるか、もしくは公園のボランティア中か。彼女ならすぐに君の不調を治してくれるでしょう。もしかしたら他のメンバーもあなたを心配して見舞いにくるかもしれませんね。それとも……私に抱えられて病院へ行きますか。市販薬より、処方してもらった薬の方がよく効くものです。ただそうなれば、戻る先はここではなく立川でしょうがね」
 監視の目は多い方がいいとつけ加え、彼はソファに腰掛けて足を組む。悠然と。
 累にはその様がとにかく小憎らしくてならない。
「やめてくれ」
「それが嫌なら、大人しく眠ることです」
「………」
 彼はやると言ったら本当にやるだろう。おそらくだがこの様子では、Xだって味方になってはくれない。彼をこの部屋に招き入れたのはXだろうから。立川にいるメンバーに連絡を取り、じわじわと縮められた包囲網の中で、累は居場所をベッドに見つける以外になくなるかもしれない。
 二歳ほど違うだけなのに。背は累よりも高く、細く見える癖にあんがいとその体つきはしっかりしている。言葉通り、累を抱えるくらいは難なくやってしまえるのだろう。
 こうなってしまえば逃げられないのだと、足音を聞いたときからわかっていた。
「ああなるほど。君がそんなに一人で眠るのが嫌だと言うのなら、膝でも貸しましょうか。それとも添い寝が必要ですか」
「は、」
 思わず声が出た。
 何を馬鹿げたことを。
 そう言いかけて、いやそれも悪くないと思い直した。そう、それはまったくもって、悪くない提案だった。
「X 、あとは頼むね」
『おまかせください、累』
 場違いな笑みを浮かべ、のっそりとデスクから立ち上がった累を、彼が怪訝そうに見ている。言い出したのは彼の方だろうに、累の行動を見守るだけで、その意図にはまだ気づいていないらしい。
 歩を進めるごとに、ずきりと頭が痛んだ。
「そこ、詰めてよ」
「……本気ですか」
「だから、詰めてってば」
 ソファの中央に堂々と座っていた彼の体を脇まで寄せさせて、空いたスペースに寝そべる。寝るための設計になっていないソファは、やはり少しばかり狭い。
 枕にした部分は固いし、高さだって合わない。どう考えても寝心地はよくないだろうとわかっていた。このソファの幅では、寝返りだって打てはしない。
 それでも累をモニタ前から引きはがす責任は張本人に取らせるべきだと、寝不足とにぶい痛みでもう上手く働いていない累の頭が、強く強く主張している。
 足がしびれようが、トイレに行きたくなろうが、言いだしたのは彼の方なのだから、とことん限界まで我慢してもらうほかないだろう。
「じゃあ僕は寝るから。おやすみ」
「……おやすみ、なさい」
 おとなしくまぶたを閉じてはみるものの、チカチカと目の奥で何かが光っているような気がしてすぐには眠れなかった。でも累が眠りに落ちるのが遅くても、それだけ長く彼の足がしびれるだけだと思えばなんてことはない。
 収まりのいいポジションを探してもぞもぞと動いていると、布団替わりだろう、彼の上着をかぶされた。たいして暖かくもないそれの下で、累は笑う。
 雨が降っている。やむことなくざあざあと降りそそいでいる。薄暗く、雨音の満ちていく室内はまるで檻のよう。
 そうして累の意識は、雨の中でゆっくりと沈んでいく。


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