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伸ばした先にあるものは
世間を騒がせた立川事件からおよそひと月。謎の昏睡状態に陥り病院へ担ぎ込まれた真田が目覚めてからは、まだほんの三日である。
そんな真田の病室は、現在重苦しい沈黙の中にあった。
どんよりした空気をなんとかしたい気持ちはあるものの、あいにくと真田にできることは何もない。うかつに口を開けば、もっとどんよりさせてしまうことは明白だ。
所在なさげにベッド脇の椅子に腰かけた累の手はきつく握られ、その顔からも一切の血の気が引いている。何をそんなに緊張しているのか。
わからないなりにその理由を考えてみて、改めて累を見やり、空気がまだしばらくは重いままだろうことを覚悟して口を開く。
「俺たちの命は、重かったですか」
探るように、けれど非難めいた口調にはならないように気をつけながら、努めて冷静に問いかける。真田の問いかけに累はわかりやすく肩をびくつかせ、うろうろと視線をさまよわせながら小さく頷いた。
その様子を見て、真田は小さくため息をつく。
彼に会えたら一言でいい、物申さずにはいられないと思っていたのに、今はなんだかとても、彼が気の毒でならなかった。もう何も言えそうにない。
燃え上っていた真田の怒りは薄れ、どこかからか、憐れみと同情の心が湧きあがってくる。
昏睡の状態から目覚めて後、真田はGALAX内に元HUNDREDのメンバーが集うコミュニティがあることを知り、そこでだいたいの事情を把握した。
CROWDSがどんな力だったのかも、宇宙人という驚くべき存在も、ガッチャマンについても、HUNDREDを組織した累が何を目指していたのかも、その何もかもすべて。
それらの情報を踏まえ、真田は彼は間違えたのだと考えた。そして自分が間違えたことを、おそらくは彼自身もわかっているのだろう。
間違いの結果としてもたらされたのが現状である。彼は後悔し、だからこそメンバーの中で最後まで意識を回復させなかった真田の様子を見に、二日と空けず病院へやってきた。三日前に真田が目覚めてからは、眠っている間を見計らうようにこっそりと。
真田にとってCROWDSは、人の力ではどうにもならない現実に対処するために与えられた力――自分の力が及ばないその事実を悔しく思うこともあったけれど――でしかなかった。
ところが累はHUNDREDを率いる将として、ベルク。カッツェを相手取って戦うことを選んでしまった。それが間違いだったのだ。CROWDSは戦うための力ではない。
彼の決断に悪意がなかったことを真田は知っている。彼が彼なりに、これしかないと思い定めて実行したのだということも知っている。けれど戦う力でないCROWDSで戦いを挑んだことは、失策だった。
コミュニティの中には累を信じていると強く主張する者もいたけれど、選ばれた100人だけに限られていたCROWDSの存在を広く世間に知らしめた累の行動そのものを非難する動きがある。特権を失ったようで悔しかったのかもしれない。
また、現実に命を脅かされたメンバーは、おおむね累の行動について懐疑的だった。それはそうだろう、どちらかといえば、つい数分前までは真田だってそちら側にいた。
真田も他のメンバーも、もれなく死にかけた。結果として全員が意識を取り戻し、今となっては真田も退院を待つ身ではあるけれど、それはあくまで結果である。
CROWDSを傷つけられることが現実の生死に関わるなど知らなかったし、現に真田にも、あの夜の招集が命を懸けるほどの大事であるという覚悟なんてなかったのだから。
たとえ謝られても、そう簡単に許すことなどできないと思っていた。CROWDSを受け取ったのは真田自身で、こうなった責任の一端が自分にあるとわかっていても、累を責める気持ちは抑えられず、そういった書き込みをしたこともある。
ところが今、真田は累についてひどく気の毒に思っていた。膝上に置かれた累の手は小刻みに震えている。その姿には、有体に言って情が動いた。
病院へ通う累の行動を偽善だとする者もいたけれど、この様子を見てなお彼を糾弾できる者などそうはいないに違いない。そういえば、記憶にある姿よりも少し頬がこけたような気がする。この一ヶ月は、彼の外見に影響を及ぼすほど過酷なものだったのだろうか。
真田よりもずっと若い、親の庇護を受けていてしかるべき年頃の青年だ。凛としていても、この肩にどれほどの重みがかかっているのだろう。
甘いなあと思わず自嘲してしまうほどには、真田はチョロかったらしい。
「俺は、あなたを責めるつもりはありません」
「……っ、」
累のまなじりで、みるみるうちに涙がふくれた。一筋ぽろりと頬を流れ、一度決壊してしまえばそれはあっという間に後から後からと溢れ出す。
今こんな風に落涙するのだから、真田の累に対する認識は間違っていなかったのだろう。くちびるを噛み、声を殺すようにした累の姿には、やはり同情の念を覚える。
「俺も、HUNDREDも、全員生きています」
耐えきれなくなったのか、累は両手で顔を覆った。殺しきれなかった嗚咽が、吐息と一緒になって高くとがる。
そこにある彼の思いはどのようなものだろうかと真田は考える。考えたって仕方がないのに、つい考えてしまう。人の心なんて、到底図り得ないものだ。
間違いなく怒りを携えていた真田の心を、累はほんの数分で溶かしてしまった。そんな風に、心のありようなんて、すぐに変わってしまうのだから。
自ら動き、人を動かし、世間はときどき信じられない惨劇や身勝手を生み出すけれど、心は信じられないほどの奇跡や慈しみを築く。
失う命を恐れた累の心が、真田にとっては好ましいものだった。多分、それでいいのだ。
やがて少し落ち着いたのか、累はぽつりぽつりと言葉を紡ぎはじめた。
「あなたが目覚めるまでに時間がかかったのは、あなたとCROWDSの同調が深かったせいだと思われます」
首をかしげる真田に、おそらくですが、と前置きして累は淡々と説明を重ねる。
「あなたは、生身で動ける方だ。CROWDSは心を具現化したものです。思うとおりに動きます。けれど、体と心が切り離せるものではない以上、思いの強さだけですべてが決まるわけではありません。あなたは職業柄、体を動かす感覚について、他のメンバーよりもずっとよく知っていた。だから、CROWDSを他の誰よりも繊細に動かすことができていたんです。……と、思われます。おそらく」
「……まったく気づいていませんでした」
「僕が気づいたのも、あの事件があってからです。――あの場で、他のCROWDSを逃がそうとしてくれたこと、礼を言います。ありがとうございました」
「え、」
下げられたままの頭を、衝撃と共に眺めた。まじまじと小さな旋毛を眺めることになってしまって、なぜか慌てて目をそらす。そして、ほんの少し、嬉しく思った。
「……どうして、それを」
「あの時はいっぱいいっぱいで、そんな余裕はありませんでした。あなただけ目が覚めないのはなぜだろうとずっと考えていて、それで思い出しました。あの夜のこと」
どうやら気づかれていたらしい。
あの夜、ベルク・カッツェにあの場にいた誰もが敵わないのだろうことはすぐにわかった。CROWDSを消されればどうなるかなんて、知りはしなかったし、考えたこともなかった。ただ、状況は悪い方へ悪い方へと転がっていく。
今の真田がベルク・カッツェについて思い出せるのは、本能的な恐怖だ。見えない敵に誰もが逃げまどい、けれど弄ばれるように、仲間は次々とその存在を消されていく。
逃げ切れないだろうとわかって、それでも真田は動いた。他のCROWDSの背を押し、手を引き、少しでも攻撃を受けるのが遅くなるように。長くあの場にとどまり、できることならば、残ったメンバー共々離脱するチャンスを見つけられるように。
――何の意味もなかったけれど。
「頭をあげてください」
病室で目覚めて体を起こし、状況を把握したとき、真田は絶望的な気持ちだった。真田も含め、HUNDREDは全員生きていた。それは確かに、間違いなく良いことではあったのだろうけど。
大声でみっともなく叫びたかった。寝たきりで一ヶ月を過ごした真田の肉体は、思わず笑ってしまうほど、衰えに衰えてしまっていた。
ほんの数歩の距離を進んだだけで、真田の体は疲労を訴える。地道なトレーニングを重ね、日々鍛えて作りあげたかつての片鱗は、もうどこにも残っていなかった。この一ヶ月で失ったものは、真田にとっては大きかった。
まずリハビリからスタートすることだけは決まっているにしても、元の感覚を取り戻すまで果たしてどれくらいの時間がかかるのか。職場への復帰がいつになるかを考えれば、真田が誰かを恨みたくなるには充分だった。
「顔、あげてください。俺は結局、誰のことだって助けられはしなかったんですから」
真田の言葉に従って顔をあげた累はもう泣いてはいなかったけれど、一目見てわかるほどにはまだ涙を溜めていた。かぼそく震える声が空気を揺することも含めて真田はしげしげと観察するように累の佇まいを見やり、笑った。
* * *
真田も、そして休憩室にいた同僚も、誰もがテレビにくぎ付けだった。にぎわう渋谷のスクランブル交差点は、非日常の世界だった。
赤いCROWDSと青いCROWDSの傍らで怯え逃げまどう人々が入り乱れる様はまるで映画のワンシーンのようで、まるで現実のものだとも思えない。けれどその中央に映り込む二人の存在が、これが作り物なんかではなく確かに現実であると真田に伝える。
なぜ、と漏らした声が画面の人物に届くことはないとわかっていても、言わずにはいられなかった。
なぜ、どうして、と。
ふと机の上で、真田のスマートフォンが震えた。触ってもいないのにロックが解除されたらしく、ホーム画面が浮きあがる。画面の端で、赤と青のアプリが点滅していた。
しばらく前に機種を変更した新しいスマートフォンには、見慣れたいつもの青いCROWDSアプリの隣に、赤いCROWDSアプリが最初からインストールされていた。知らぬ間に新しいバージョンが開発されたのだろうと思っていたけれど、同時に世間を騒がせるようになる赤い存在にも気づいた。
なぜ赤いCROWDSが初期アプリとして入っているのかと疑問に思い始めたころ、町で声をかけられた。
勧誘に来ましたと笑っていたその人は、まさに今テレビ中継の中で、累と対峙しているその人だった。
青くても赤くても、CROWDSを使うつもりがもうないことを言い切った真田に彼は軽く目を見張り、赤い組織について簡単に説明をしたかと思うと「いずれまた」と告げてあっさり去っていった。
ちらりと聞いたその理念に、賛同する部分がまったくないと言えば?になる。青いCROWDSについて良い面ばかりが強調されているけれど、彼らが決して良い行いばかりしているのではないことも実しやかにささやかれていた。
CROWDSに対する彼の言い分に心惹かれる部分も確かにあったし、HUNDREDの一員だった真田からこそ、なるほどとつい頷きかけて、しまったとも思った。
事実、元HUNDREDの中で赤いCROWDSを受け取ったメンバーが真田の他に、少なくとも数人はいることもわかった。それとなくコミュニティをのぞいてみれば、わかる人にはわかるのだろう単語がいくつも飛び交っていた。
「なあ、渋谷、やばくね?」
「どうなってんだよこれ……」
ホーム画面に置いたふたつのアプリは何かを促すように点滅をしている。その点滅に合わせて真田の心臓が鼓動する。
動悸がうるさい。息がつまる。
真田の内心とは裏腹に、テレビの映像は何もかもがゆっくりに見えた。
渡すなと、大きな声で叫びたかった。
手にしたNOTEを渡してはならない。渡すべきではない。渡した先の未来で起こるだろうことが、真田には手に取るように察することができた。
そのNOTEがガッチャマンにとってどんな意味を持つのかなんて、真田にだって理解できる。CROWDSを砕かれたHUNDREDがどんな状態に陥ったかを、忘れている彼ではないはずだ。なのに、なぜ。どうして。
画面の中央で、ゆっくりと時が流れていく。一冊のNOTEが、本人の意思によって持ち主の手から離れようとしている。
「待っ……」
制止は間に合わない。声は、誰にも届かない。できることなど、何もなかった。
真田が目指したのは、救う道である。赤色も青色も関係なく、できる範囲で、できることをしていく。
敵と戦い、困難に立ち向かい、憂いを退け、それによって救われる道ももちろんあるだろう。けれど、真田の道はそうではなかった。真田が目指したのは救う道であって、戦いに身を投じることではない。けれど。
赤と青のボタンが、真田の選択を待っていた。
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