少年

 蝉がジワジワと鳴いている。校舎の向こう側から高らかに響く声は、練習試合中のサッカー部のものだろうか。時折どこかから聞こえる風鈴の澄んだ音色が耳に心地よかった。
「ただいまー。もー、あっちいよー」
 騒がしい足音と共に、買い出しへ行っていた田島がベンチに駆け込んできた。それまで暑さに消耗して伸びていた他の部員たちも、身を起こして笑いながら労う。その当人は既に服を脱ぎ捨ててパンツ一丁である。本当は上半身裸でコンビニへ行こうとしていたのをオレが止めたのだ。戻ってくるまで我慢していてくれて、本当に良かった。
「えーと、コーラ4本な。オレもコーラっと」
 オレと泉、水谷の3人がうーい、と手を上げた。夏の暑い日は無性に炭酸飲料が恋しくなる。田島の手に握られた缶につうっと雫が伝うのを見て、思わずつばを飲み込んだ。
 しかし田島はその姿勢のまま見開いた目を一度だけ瞬かせ、左右の口の端を大きく引き伸ばした。笑った、と思ったときにはもう遅く、あわれなコーラの缶は渾身の力を込めて振られていた。
「コーラ・ロシアン・ルーレット!」
 そう告げた田島の顔は、まるで『邪気のない笑顔』の見本のような顔だった。

「あー、あー、あー……」
「マジかよ……」
 泉と水谷は揃って肩を落とす。オレだって同じ気持ちだ。ひやりとのどを潤すコーラに思いを馳せていたのに、こんなのあんまりだ。
「お前が責任持って飲めよ!」
 思わずそう叫ぶと、田島は手に持っていた缶を袋の中へ戻し、ガチャガチャと音を立ててそれをかき回した。
「まーまー、オレもやるからさ。ほら、選んで」
「しょーがねェなあ。おっしゃ、来い!」
 覚悟を決めたらしい泉と水谷へ袋を押し付け、余った二本からオレも片方を取る。あのコーラは一体、今誰の手に握られているのだろうか。示し合わせたように田島以外の三人は顔を見合わせたが、それは誰にも分からない。
 揃って輪になり、プルトップへ手をかける。緊張と高揚が四人の間を走るが、夏の青空の下、手にしているのはコーラの缶で、おまけに一人はほぼ裸である。周りから見ればさぞ滑稽だっただろう。
「いくぞ。いっせーの、せ!」
 四本の缶はプシリと口を開き、そこから入道雲のような泡が溢れ出ていたのは、他ならぬ田島のものだった。
「うわ、つめて!」
「おっまえ、自業自得!」
 缶の口からコーラが零れるのにも構わず腹を抱えて笑うオレら三人に、田島もそれに負けないほどハイテンションで笑う。
「ほらほらほらー」
「おい、こっち来んなよ!」
 ふざけて近寄ってくる田島を制しようと腕を突き出したが、勢いよくぶつかられた拍子に、オレは足をもつれさせて尻餅をつく形になった。正面には田島。その手には泡を吹き出し続けるコーラ缶。

「……あ、ごめん」
「てめえ、いいかげんにしろ!」

 * * *

 気分が高揚してバカ騒ぎをした後の片付けというのはむなしいものだ。今オレは田島と肩を並べて水道でアンダーシャツと練習着を洗っている。
「花井、まだ怒ってんの?」
「怒ってねェよ。ふざけてたのはオレも一緒だし」
「じゃあ何で黙ってんだよ」
「こうやってっとさあ、何がそんなに楽しかったんだろうって気になんねー?」
「……なる」
 はあ、と同時にため息をつく。田島の下敷きになったオレは二人分のコーラを一身に受け止めてしまい、本当のことを言えばパンツまで濡れてしまっていたのだが、替えはさすがに持っていないので諦めることにした。それがまたむなしさを駆り立たせるのだ。

「花井くん」
 背後から聞こえたのは篠岡の声だった。いたずらを咎められた子どものようにびくりと肩を揺らし、恐る恐る振り返って立ち上がる。
「あの、これは、その……」
「監督が急用入っちゃったみたいで、午後の練習は花井くんにお任せするって。なるべく早く戻るとは言ってたけど」
「わ、分かった、ありがとう」
 それだけを告げて篠岡は歩き去ろうとしたが、ふと振り返ってくすりと笑った。
「二人とも洗濯中? お疲れ様」
 オレがいたずら小僧だとすれば、その笑顔はまるで優しい母親のようで、彼女にはとても似つかわしいと思った。思ったけれど。へなへなと足が崩れ落ち、うずくまって両腕に顔を埋めた。
「何してんの」
「パンツ一丁んとこ見られた」
 そう言って横目で見上げると、田島は意味が分からないとでも言いたげに口をとがらせていた。
「そんなの今更じゃん」
「お前にとってはそうだろうけど、オレは篠岡がいるところではちゃんと服着てたんだよ」
「しのーかがそんなの気にするかなあ」
「気にしてられないようにさせたのは田島だろ!」
 篠岡の中でオレらはみんな同様に、手のかかる息子のような存在なのだろうと思うと情けない。そして、なんとなく気付いてはいたけれど、もう男として意識されることなんてないのだろうと思うとそれも寂しい。
「あーもう、全部田島のせいだ!」
「さっき怒ってないって言ってただろー」
「気が変わったんだよ!」

 午後の練習開始まで、残り10分。

Thanks a lot!