土鍋天国




 冬合宿2日目。本日の献立は鍋。
 野球部の目の前には出来上がったばかりの熱い土鍋が4つ置かれている。
 それは夏合宿から恒例となった保護者会が準備してくれた夕食だった。栄養に偏りが生じないようによく考えられたそれは、いつも野球部員の楽しみであり励みでもあり、彼らが体を大きくするためにも欠かせないものだった。
 ただなぜか、今日に限って誰も箸をつけようとはしない。お互いの様子を伺いつつ、誰かがひと口その鍋を食べてくれるのを待っていた。
「何で食わねーの」
「オマエだって食ってないじゃん」
「オレは後でいいんだよ」
「オレだって後でいいもんよ」
 練習をみっちりこなした後の体は限りなく食物を欲している。目の前にはホカホカと湯気を立てる鍋。これで食欲をそそられない方がおかしい。それなのに誰一人としてその鍋に手をつける人間がいない。
 いつもなら「うまそう!」の掛け声と共にあっという間に料理はなくなっていく。特に大皿料理だとさっさと自分の分を確保しておかないと、ゆっくり食べていたら取られてしまうのだ。
 今日の鍋は、鍋にしては不思議な色とにおいをしていた。
「これって、結局何鍋?」
「自分で考えたら?選んだの自分だろ?」
「オレはこんなの選んでない!オ、オレは……キ、キムチ鍋に一票入れたんだ」
「ホントにか?で、でもオレだって普通に寄せ鍋に入れたよ……」
「オレはカレー鍋ってのが食ってみたかったな〜」
「みぞれ鍋ってのもウマそうだった」
 本日の献立は鍋。
 実は合宿1日目のトレーニングの一環として献立を考えることになった。今は保護者に頼んでいるメニュー決めをいずれ生徒自身で考えられるようになったら、というのが監督たちの狙いらしい。
 何を食べたらどこに作用し、結果どのように体が作られていくのか。多少なりと意識して食事を摂ることは、「うまそう!」にプラスして体のためになる。
 最初からメインと副菜と……と考えるのはまだ難しく、かといって夏合宿で阿部と三橋が使っていたような本を何冊も準備できない。
 それではと、一番作り方も簡単な鍋について考えることにした。ただ、考えるだけではもったいない。生徒が野菜の栄養価表と首っ丈で味付けも含めて考えた11種類の献立を、2日目の夕食として投票で選ぶことにした。
「考えてるときは楽しかったんだけど、いざ食うとなると、この鍋はどうなんだ。何鍋?」
「コレって誰の考えた鍋だ?」
 多少遊び心があったほうが楽しいと、投票で1位になった鍋が何鍋かも、誰の考えた鍋かも教えてもらえなかった。もちろん母親たちも教えてはくれずに、なにやら意地悪げな、楽しげな笑みを浮かべるのみだった。だからこそ11人は今日の夕食をなおさら楽しみにしていた。
「カントク、もう誰が何考えたか聞いてもいいっすか?」
 今、13人の前に置かれている鍋に入っているのは白い液体だった。
「まさかとは思うよ。これは豆乳鍋でいいんだよな?」
 最近は変り種の鍋も増えている。キムチ鍋やちゃんこ鍋はとっくの昔に市民権を得、それに豆乳鍋に加えて今年の冬はカレー鍋も登場した。豆乳鍋はイソフラボンの効果もあって女性に人気で、カレー鍋は子どもの圧倒的な支持を受けている。
「これが豆乳鍋だと思うなら、何で誰も箸つけねーんだ?」
 そう、目の前の鍋が本当に豆乳鍋なら、多分誰もが先を争って食べるはずだろう。
「なんかさ、甘いニオイがすんだけど、豆乳鍋って甘いの?オレ食ったことなくてさ」
「こないだオレんち豆乳鍋したけど、別に甘くはなかった。つか、ニオイもなんかちげーよ。こんな甘いニオイは絶対おかしいって」
 11人の脳裏に浮かんでいるのは、昨日の選択肢あれこれだった。ごく一般的な“水炊き” “寄せ鍋” “ちゃんこ鍋”煮込むのは同じだと“すき焼き”、火にかけるのは同じと“チーズフォンデュ”もあった。大根おろしをたっぷり入れた“みぞれ鍋”、冬らしく“みかん鍋”。変り種も並ぶ中でもっとも11人の目を引いたのは“生クリーム鍋”だった。
 そんな甘いもので鍋など出来るのかと誰しもが思ったが、予想に反してその“生クリーム鍋”はよく考えられていた。
 生クリームでは脂質が多過ぎるので、実際に使うのは植物由来のホイップクリーム。クリームに合うように出汁は和風出汁よりはブイヨンベース。野菜も鍋ではポピュラーな顔ぶれの白菜やネギは除き、人参・カボチャ・キャベツ・インゲン・ブロッコリー・玉ねぎ・アスパラガス等など洋風の野菜ばかりで揃えた。さらに肉もヘルシーな鶏肉を皮を省いて使用する。
 生クリームを使用しているので味はこってりとしている。甘いことを除けば、充分メインとして成り立つと思われた。
「誰だよ、こんな鍋選んだの」
“人生で一回くらいは食べてみたい気がする。でも冒険するには気が引ける。”
 きっと11人誰もが一度はそう考え、現実的に考えて頭の中から外したに違いない選択肢だったはずだ。
「せんせー、結果教えてくださいよ!」
その声に答えて志賀が生徒から集めたレシピを取り出した。
「生クリーム鍋には4票」
「4票も!?」
「誰だその4人!」
「その後は3票のキムチ鍋。2票の寄せ鍋。残りはみぞれ鍋とカレー鍋だな」
「キムチおしー。1票じゃんか」
「鍋といえば寄せ鍋だと思ったのに……」
「自分1人くらい生クリーム鍋を選んでも、他の皆が普通の鍋を選んでくれたら単なる笑い話ですむって考えた人が4人いたってことね」
 オレ生クリーム鍋食べてみたかったな〜。いや、ちょっとだけだ、ちょっとだけ。
 そんな風に笑い飛ばす予定だったのに、4票も入っていたせいで、笑い話にならなくなってしまったのだ。
「………」
「マジありえねー。誰だ選んだの」
「選んだヤツが責任もって食えよ」
「………」
「………」
 生クリーム鍋を選んだ4人も、自分が選んだとは言い出しがたい雰囲気になってきた。少し殺伐とした空気の漂い始めた食卓の様子を、志賀と百江は黙って見ていた。
「食うしかねーだろ」
「全員で食べようよ」
 生クリーム鍋を選んだ部員を擁護する声も出てくる。ただそれでも、まだ誰も鍋に手をつけようとはしなかった。
「ちょい待ち」
そんな空気を察したか、田島が手をあげた。
「オレたちこーこーせーだぜ?冒険したいと思ったって許される歳じゃねーのか?」
その言葉に三橋と沖と志賀が吹き出した。
「まだ16歳なんだ。安全策取ってどうするよ!」
拳を握って力説した田島に監督が力を貸した。
「そうだね、未知のものに対する気概ってのはすごく大事だよ!」
「………」
「そーだよな、高校生だよな」
「もっと冒険すべきなんだ、オレたち」
「選んだのは自分たちだからね、きちんと食べること!」
 上手くまとめたモモカンの言葉に頷き、それぞれ鍋からどんぶりに装って食べ始めた。


 生クリーム鍋。それは未知の存在。そして共に立ち向かう西浦部員。
 目の前の鍋を平らげたとき、彼らはきっとさらなる結束を深めることが出来るだろう。
 もちろん母親たちの尽力のおかげで、生クリーム鍋は思っていた以上においしく出来ていた。