どうせなら優しいコトバを




 阿部の怪我がほぼ回復し、今まで一人特別メニューをこなしていたのが通常の練習に参加しても良いとの許しを得た日。三橋は一人焦っていた。
 柔軟をし、軽くキャッチボールをし、ブルペンに入って久しぶりに阿部を相手に投球練習をするときになっても、三橋はなぜか集中できないままでいた。
 怪我をする前までに何百何千と三橋の球を受けてきた阿部だ。いくら間をあけたからといって、そんな三橋の様子に気づかないはずもなかった。
「まず五球いくぞ!」
(ど、どうしよ、阿部くん絶対怒るよ……)
 息を少し深く吸って呼吸を整え、阿部のサイン通りのコースへ放る。球は良い音をさせて阿部のミットに収まった。
 久しぶりに聞く懐かしい音がした。
「もう一球!」
(気づかれなかったかな?)
 恐る恐る見やった阿部の顔が先ほどに比べて少し歪んだように見えた。
 気にしない振りで覚悟を決めてもう一球、今度こそと気合を入れて投げる。一球入魂。だがその球を受けるやいなや、阿部は足元の砂を蹴散らしながら歩み寄ってくる。その姿から三橋はつい目をそらしてしまう。
 やはり阿部には三橋の不調がわかってしまうようだった。
「オマエなぁ、なんてタマ投げてんだ」
 ため息交じりの阿部の台詞に、三橋は阿部が別に怒っているのではないことを知る。
「オマエのタマ受けンのも久しぶりなんだしよ、もっと気合入れてくれよ」
「う、うん……」
(なんだ阿部くん、怒ってないや……)
 少しだけほっとしつつ、乱れた投球は別に気合が入っていない訳ではないことを説明したい。
「あ、阿部くんが、そ、そこに座ってて、良かったなぁって……」
「は?オレがここに座ってたらオマエは投球が乱れんのかよ」
「ちが、そ、そうじゃ、なくて……」
(阿部くん戻ってきてくれて嬉しい、けど、オレ全然成長してない……)
 三橋は必死で首を横に振る。
「オレっ、が、ぜんぜ、ダ、ダメだっから……」
 捕手の阿部がいなくても練習の日々は変わらない。毎日どれほど頑張っていても、その成果はすぐに出る場合と出ない場合とある。
 高校に入って球速は10キロ軽く上がったが、それ以降はなかなか上がらないない。三橋が自分に自信が持てないのも相変わらずだった。
「三橋、“セルフキラーフレーズ”は言うなってカントクの言葉、覚えてっか?」
「セ、セル、フ……?」
「“セルフキラーフレーズ”だ。前にカントクが言ってただろ?」
(な、なんだったっけ?)
 夏大会が終わってからすぐに、野球部はチームの目標を定め、急遽合宿を催した。そのミーティングで聞いた覚えは確かにあるが、どういう意味だったかまでは思い出せない。
「自分を殺す言葉だよ。自分を卑下したり貶めたり、オマエは特にそーゆーのが得意だからな、気をつけてろ」
「………」
 きっぱりと阿部に決め付けられて、三橋も沈黙するしかない。事実阿部の指摘通り、投手である自分について考えるとき、その思考が後ろ向きになることはよくあった。
(何でセルフキラーフレーズ言っちゃいけないんだろ……)
 自分に自信なんてない。きっと、自分に自信がある人の方が世の中きっと少ない。でも周りの人は優しいから、わざわざ落ち込ませるようなことを告げたりはしない。それどころか三橋のことを誉めてくれる。
(オレ、誉められるとすごく嬉しい)
 でもそのままでいると、勘違いをしてしまいそうで怖い。コントロールを誉められるたびに、自分がまるで努力の天才になったかのように感じてしまう瞬間があった。
(でも足りない、まだ全然足りてないんだ)
 どんなに練習したって上を見ればキリがなかった。そんな自信家にはなれない。
「で、でもオレ、天狗になりたくないっ……んだ!」
 中学時代のように自分の驕りを指摘してくれる人は西浦にはいない。だからこそせめて自分で自分を戒めることが必要だと思った。
「………」
 阿部はこれまでに見たことがないくらいに呆れた顔をしていた。その様子に、もしや気に入らないことを言ってしまったのではないかと三橋も焦る。
「ご、ごめん……なさい……」
「いや、別に怒ってねーしよ……」
(……阿部くん、怒って、ない?)
「……オレは、オマエがエースだと思って受ける。そこはオレらを信用しろ」
 驚いて顔を上げた三橋に、阿部がその手に持っていたボールを手渡した。
「でもオレらがもっと上目指せるのも確かだ。可能性だってまだある。天井は見えちゃいねェよ」
 三橋は手渡されたボールを手の中で弄びながら阿部の言葉を聞いていた。
「だけどオレらは甲子園で優勝すんだから、後ろ向いて過ごしてる余裕もねェんだ。来年の夏まで“どうせオレなんて……”つって過ごすのと“ぜってー勝つ!”って決めて過ごすのと、やっぱり結果も違うだろーよ。な?」
 甲子園までの道のりはまだ遠い。常に気負っていては体も心ももたない。
「オマエの努力、誰が疑うってんだ」

「あー、阿部がまた三橋泣かしてるー!」
(!)
 突然割り込んできた田島の大声に、阿部と三橋が体をすくませる。
「三橋いじめてんじゃねーぞ阿部!」
 田島は阿部と三橋の間に体を入り込ませ、三橋を背にかばうようにして阿部に向き合った。
「オレはいじめてねぇ!」
「い、いじめられて、ない!」
 焦った阿部と三橋の言葉が重なった。
「ホントか?」
 田島が肩越しに振り返って三橋に念を押す。
「ほ、本当だよっ!」
「ならいーや!勘違いか!」
「う、うんっ、勘違いだよっ」
 納得した田島と三橋が顔を見合わせて笑い合った。
「ったく、せっかく良い話してたのに、田島のせいでぶち壊しだ」
 悔しそうに阿部が呟いた。
「三橋、もう一球いくぞ!」
 掌を合わせて戻っていく阿部に、右手を閉じて開いてしてみせる。
 何となく、もうコントロールが戻っていそうな気がした。
(阿部くんが怒らないなんて、珍しい……)
 久しぶりに阿部のミットに向けて放れることを三橋が喜んでいるのと同じように、阿部も三橋の球を受けられることを喜んでいるのだろうと思った。