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始まりはとてもさりげなくて
大切にしていたものって何だっただろうか。そんなもの、もう覚えていない。
「今日の家庭基礎って自習らしいぞ」
先生の急な出張のおかげで自習になった。ちょうど今は「ぬいぐるみ作成」という課題に取り組んでいる最中だから、先生がいなくてもなんとかなる。
学校に持ってきても大丈夫な程度の「大切なもの」を参考にしてぬいぐるみを作るのだ。
「よし、寝るか!」
田島は降ってわいたこの時間を睡眠時間に充てるつもりらしいが、そうは問屋が卸さない。
「終わればな」
「別に今日くらい寝たっていいじゃん!」
「ちっとは進めとかねーとマズイんじゃねぇの?」
「え、まだ来週だってあるしヘーキだろ」
先週から始めたばかりのぬいぐるみ作りは、誰もが苦手なせいもあってあまり進んではいない。監督の先生だっていないから寝ていたって欠課にはならないだろうが、二時間続きの授業でまったくぬいぐるみ作りが進んでいないのはさすがにマズイだろう。
「ま、少しでもやっとけよ。このセンセー時間内にできなかったヤツは放課後居残りさせんだから」
「え、マジ?」
「マジマジ」
あまり自慢にはならないが、今年の一年生とは持っている情報が違うのだ。
甲子園優勝を目指す彼らにとって放課後居残りは避けなければいけないだろう。課題ができていないことがあの監督に認めてもらえる理由とは考えられない。
「う〜ん、じゃあやっぱりできるだけはやっとかないとかな……」
「そうそう、それがいいって」
しぶしぶ納得した田島は各自の持ってきた「大切なもの」を取りに行った。
「みはしー」
「な、なに?田島くん」
「オマエ先週自分の分持って帰ったっけ?」
「?」
まだ作りかけの作品と実物は一緒にして先生に預けることになっていた。特にそれぞれが持ってきた実物は大きくてかさばるものも多かったので、ロッカーに置いておくのは邪魔すぎる。もちろん学校に置いておくのは心配だと、自分で持ち帰って保管する人間もいる。
「オ、オレの、も、預けてある……よ?」
「だよなー。ハマダのも泉のもオレのもあるけど、三橋のがねーんだ」
「あれ?オレの『初代ケータイ』がない」
「うそ、私の『お弁当箱』もないわ」
「えー、あたしの『カバン』はちゃんとあるけど?」
どうやらないのは三橋のだけではないらしい。教壇の前ではざわめきが起こっていた。
「おい、自分の確認した方がいいぞー」
寝る気満々だった生徒たちも皆黒板前に集まってくる。
「やだ、私のもないじゃん!」
「オマエラちゃんと見たんか?」
「見たし。でもないものはないんだってば」
「………」
「なー三橋、三橋のグローブある?」
「オ、レの、ない……!」
「マジか!? 」
結局自分の『大切なもの』が紛失していたのは全部で10人。その中には三橋の持ってきたグローブが含まれていた。
1人や2人だけなら勘違いや気のせいで、よくよく探せばその辺から見つかるかもしれないが、10人分ないとなると、これはちょっとした紛失事件だ。
「オ、レのグロー、ブ……」
三橋の血の気が引いていく。あっという間に顔面蒼白になってしまった三橋。ふらふらと倒れてしまいそうだ。
「とりあえず、探すだけ探してみよーぜ」
実物が見あたらなくなってしまった人間と有志が集まって捜索団が結成された。
見つかっても見つからなくても30分でまた被服室に戻ってくることを確認し、それぞれ分担を決めて散らばっていく。
先週三橋が大切なものとして持ってきたのは小さなグローブだった。
さすが三橋だ。昔使っていた古いグローブをまだ取っているなんて。やはりエースになるような人間は一味違う。
そういえば、自分が最初に買ってもらったグローブはどうしただろうか?手元にないということはやはり捨ててしまったか。野球をやめる前に使っていたグローブだって、引越しのドサクサに紛れてどこにいってしまったかもわからない。
そう思ったくらいだ。
「ちっせー。いつの?」
「こ、これ小、学生。浜ちゃん、にもらったっ!」
三橋は少し興奮してそのグローブを自分に差し出してくる。思わず手に取ったそのグローブは、ボロボロになっていたがよく手入れされていた。
とたんに甦ってくる懐かしい記憶。ちびっこかった三橋が喜んでボールを追いかけていた。打って走ることを純粋に楽しんでいた懐かしい、懐かしい記憶だ。
そうだ。最初に買ってもらったグローブはこれだ。小さくなって三橋にあげたグローブだ。
「な、なっつかしー。三橋、まだ持ってたのか?」
「う、ん!飾って、ある、よ!」
正直三橋が大切にしていてくれたことには驚いたし嬉しかった。
けれどもそんなに思い入れがあるものだろうか。別段高級なグローブではないし、新品でもなかった。何の変哲も無い使い古しのグローブなのだから。
職員室のどの先生にも心当たりは何もないと言うことだった。焼却炉の中までのぞいた人間もいたが、それらしきものは何も見つからなかった。
けれども学校の中にないということはあまり考えられない。本人たちにとっては大切なものでも他人から見れば古めかしいものに過ぎないだろうから、盗難の線も想像できない。
「わからなくなったら現場に戻るのがテッソクなんだぜ!」
どこのサスペンスから得た情報だろうか。そう主張して、捜索団は被服室でまた作戦会議を開いた。
残りのメンバーは大人しく課題に取り組んでいたが、戻ってきた姿を見てクラスメートが声をかけてくる。
「なぁ田島、オレらさっき考えてたんだけど、あの辺の段ボールってそれぞれの大事なモンが入ってた段ボールだろ?で、多分だけど一箱分どっかに紛れてんじゃねぇかと思うんだけど」
彼が指差したのは入り口に重ねてある段ボールだった。どこかのメーカーの名前が入っている。
「だろーな。でもどこに紛れたのかが問題なんだって」
「他のクラスのはどこに置いてあるんだ?だって9クラス分だろ?」
「そっか、オレたちのだけじゃなくて、他のクラスのを探せばいいのか!」
「被服室は探したんだよな?」
戸棚の中も机の下も、およそ空間がありそうなところは全て見たがそれらしきものはどこにも見当たらなかった。
「おい、誰か被服準備室見たか?」
「最初に見たけどそんな段ボールなんてなかったってば」
「そっかぁ………」
振り出しに戻ってしまい、全員がっくりとうなだれてしまう。
「あのせんせーが家に持って帰ってない限りやっぱ学校の中にあるって。もっかいさがそーぜ!」
「まぁ待て田島。オレいっこ考えたことがある」
また被服室を駆け出そうとする田島の襟首を引っつかんで少し耳打ちする。
「泉と一緒に行ってみろよ、多分アタリだと思うから」
「おっけー。泉来いよ!」
「お、おー」
「安心しろよ三橋、多分見つかるよ」
「ほ、ほんとに!?」
「うん、多分あそこにある」
田島と泉が探しに行っている間に三橋に聞いてみたいことがある。
「なぁ三橋、あのグローブってそんなに大事?」
先週から気になっていた質問をぶつけてみる。さっきよりは少し顔色が良くなった三橋は力強く頷いた。
「オ、オレ、あのグローブ、もらってヤ、ヤキュー好き、になった」
たどたどしく話す三橋はもじもじと、それでもしっかりと目を見て話す。
「ハ、ハマちゃん、いつ、もイチバン、カッコよくて。オ、オレ、いつ、もあこがれてた、んだよ!」
三橋の言葉は、誰かに言って欲しくて、でも誰にも言って欲しくなかった言葉。
「あのグロー、ブ、オレのた、たからもの。だよっ」
一番カッコよくて、いつも憧れで。三橋の言葉は飾らない分胸を打つ。
ひじを壊して、他にもいろいろあって野球をやめた。野球は好きだったけど、それ以来いつの間にか何もかもが面倒で無気力になっていた。
頑張る人間が不思議でならなかった。何をそんなに頑張ることがあるんだろう。結局どれほど頑張ったって、報われることの方が少ないのに。
「三橋さ、野球スキだよな?」
それでも心の底では信じていたかった。
「うん、ダイスキだ、よ!」
自分が本当は熱い人間だということ。すべてに対してまだあきらめたくない気持ちが、本当はまだ残っているはずだということ。
「そうだよな。オレも野球、スキだ!」
「うんっ!」
三橋はとても嬉しそうに笑う。
三橋と野球は切っても切り離せない。野球部の一日は甲子園で優勝するために回っている。
その中心である三橋に野球の面白さを伝えたのが自分だと思うのはおごりかもしれないけど、少なくともきっかけになっているとは思う。
「ただいまっ!ドンピシャだぜ、見っけた!」
田島と泉が段ボールをかかえて戻ってきた。
予想通り美術準備室にあったようだ。
「スゲェな浜田。テメーなんでわかった?」
「あの段ボールに書いてあるメーカーって、ウチの学校が出入りにしてる美術のメーカーだよ。んでもって、あの先生美術部の顧問だからな。準備室に置けない分はあそこじゃないかと思ったんだよ」
去年の体育祭でデコレーションをやったときに大量に注文した絵の具一式が同じ段ボールに入っていたのを思い出しただけだ。
そう。一年余分だけど、役に立つこともたまにある。回り道がマイナスばかりだとは考えたくない。良い方向にいくことだってあるはずだ。
「ホラ三橋、グローブ」
「ハ、ハマちゃん、あ、りがとう!!」
「もっと早く気づけっつの。探し回る前に」
「ワリ。ま、気づいただけよかっただろ」
「まぁな」
三橋たちは一生懸命だ。
大切なものはまだ手の中にある。なくしたものもあるけど、その代わりに手に入れた場所もある。
今でも熱くなれる。きっとまだ三橋のヒーローでいられる。
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