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誕生日の話
「ほら、またなんかメッセージ届いてるよ、丈」
「……知ってる」
カウンターの上に投げ出した携帯は、定時を過ぎてから15分と間をあけずに新しいメッセージの到着を知らせる。それが今ごろマンションに集っているあのメンバーの内の誰かからだということくらいは、もう手に取るまでもなくわかる。丈が市役所を出た瞬間を狙い澄ましたかのように届いた清音からのメッセージを皮切りに、それは累、はじめ、うつつと続いた。となれば、今しがた届いたばかりのこれはO・Dかパイマンのどちらかからだろう。丈はそのメッセージの内容を確認するだけして、一度も返信していない。
「いつ帰ってくるのか聞いてるだけなんだろ。これから帰るって言えよ、丈」
「帰るつもりないってさっきも言ったろ」
「意地っ張り」
「どこがだよ」
なにも今日の夜は必ずマンションに帰ると約束していたわけではない。そもそも年度末でやり残す仕事がないように、役所全体が忙しなく動いている。その影響を受けて、丈ですらこのところ定時であがれた試しはない。休日を返上して仕事をさばく日もある。ましてそれが平日の夜ともなれば、集まると言われても、行けない可能性の方が高いだろうということはそれこそずっと前に伝えてあった。
「29日の夜はあいてますか」
具体的に内容を告げられはしなかったけれど、清音の口から出たその日付にピンときた。それが他でもない自分のための集まりであることは、よほど鈍い人間でない限りはわかるだろう。だからこそ丈は角が立たないよう、仕事を理由にそれを断ったのだ。
「平日は無理だな、忙しい」
「そう、ですか……」
きっぱりとした答えに肩を落とした清音のことを、丈は忘れていない。O・Dが「しかたないわよ清音ちゃん」とささやいてその肩に手を置いた。その言葉に清音がうなだれて「はい」と答えたのを見届けたことで、丈の中でその話は終わったも同然だった。さすがに迷惑だとは言わないが、今さらこの歳になってという気持ちくらいはある。照れくさい感だって否めない。有体に言えば、何やら非常に恥ずかしい。
だから、平日を理由に上手くかわせたと思っていた。さすがにわざわざ休日を待ってまで集まろうとは誰も言わないだろうとも思っていた。事実、それから幾度かメンバーと顔を合わせることはあったものの、他の日程を押さえられるような素振りはまったくなかった。
丈は今日もいつも通りに出勤し、仕事をこなし、合間にGALAXを経由して届く祝いの言葉に返信して一日を過ごした。それがまさか終業間際になって「枇々木くん、君、もう定時であがっていいから」と告げられてしまうとは、予想だってしていなかった。
「……は?」
それは上司に対する言葉遣いとしては誉められたものではなかっただろう。それでもその温厚さを広く知られる上司は顔色一つ変えることなく丈の手にしていた書類をさっと取り上げて、壁にかかった時計を示した。
「もう時間だから」
「時間と言っても、17時を過ぎたばかりですよ、まだ」
ひっきりなしになっていた電話が鳴らなくなるのはこれからの時間だ。夜の残業を当てにして、頭を使う仕事をごっそり残している。ようやく落ち着いて仕事を片づけられる時間になったというのにいきなり帰れと言われても、丈としても困惑するしかない。
「だって、今日は29日だろう。枇々木くん」
「それがなにか……」
眉をひそめ首をかしげ、29日が何かわからない風を装ってはみたものの、結局あれよあれよと言う間に市役所を追い出されて今に至る。帰らないと言い切ってしまった手前マンションに帰ることもできず、かといって借りている部屋に戻るには時間がもったいなさ過ぎて、結局いつものカウンターでいつもの青いグラスを傾けている。
「約束してたわけでもねえし」
「それはさっきも聞いたよ、丈。でもそうやってお前を呼んでんだろ? だから俺さっきから言ってんじゃん、もう帰りなって」
携帯がチカチカと点滅していることを、カウンター越しに阿蘭も見て取っている。
「なあ丈、帰れよ」
「……やだって」
阿蘭の言葉に首を横に振るのももう何度目だろう。
「せっかくこんな早い時間から飲めてんだ。夜はこれからだろ。まだ全然飲み足んねえし」
人の多くない時間帯のうちにダーツボードの前に立っておきたい。気のすむまでひとしきり投げ終わったら酔いも覚めているだろうから、そこからまた仕切り直して飲み直せばいい。思ってもいない形で手に入れた夜はまだまだ長い。
ところが阿蘭は夜を満喫しようと張り切る丈を見て、なぜか困ったように笑う。
「こうして毎晩カウンターの中からお客さん見てるとさ、いろいろ思うことも見えることもあるんだよ。だから俺は、何度でも帰ればってお前に言うよ」
丈の杯が空になっているのを目にとめて、阿蘭が「もう一杯だけな」とグラスを新しいものと交換した。
「この一杯は俺のおごり。今夜はそれ以上出さねえから」
「本気で客追い出す気かよ……」
「本気だよ、俺だってたまにはな」
「………」
そして丈は職場に続いて馴染みのバーまでも追い出されるように後にして、今度こそ行くあてもなく人の通りに流されるまま駅へ向かう。立ち止まって時刻を確認する待ち合わせらしき人々以外は、きっと家路を急ぐ人々ばかりに違いない。
雑踏のにぎやかなざわめきが、一人きりであることをこれでもかというほど鮮明に告げてくる。ふいに少しだけ人恋しい気分になって、柄でもないと煙草を手に喫煙スペースを目指す。
肌寒い日があるものの季節としてはまさしく春と呼んでさしつかえなく、梅どころか桜の花だって満開に近づいている。忙しなく行き交うパステルカラーの明るい群れを見るともなくぼんやりと眺めていると、煙を越えてとあるにおいが丈の鼻先をくすぐった。美味しいにおいだ。食欲をそそられる。阿蘭の店で軽く食べたはずの腹が、ぐうと鳴いて空腹を訴えた。
どこから流れてくるのかと風の吹く方向へ視線を向ければ、その元はすぐに見つかった。いそいそと足取りも軽く北口へ向かう男性がひとり、右手にケンタッキーの袋を提げている。そういえば近くに店舗があったはずだ。よく見かける赤と白の箱ではなく、目に鮮やかな桜柄の模様。何度かCMで見た、春の限定パッケージとかいうやつだろう。そしてその男性は、左手にケーキと思しき袋を提げている。
ちょうどその瞬間、あまりの返信のなさに焦れたのか、それまで携帯に届いていたのと同じメッセージがNOTEに浮かんだ。
――マンションで待っています。
「やれやれ、しょうがないから帰ってやるか」
その言葉に心を動かされたのではない。腹は減っているが、パックを買ってもどうせ一人では食べきれない。無駄にするのはもったいない。だからマンションへ帰る。そう理由をつけて、丈は横断歩道を渡る。
「食べたくなるなる、か……。それも悪くないかもな」
「おかえりなさい丈さん、待ってました」
「お、おかえりなさい……」
「おかえりなさいっす丈さん!」
「やだもう丈ちゃんたら、遅いわよお」
「あんまり遅いから、Xに探してもらおうかと思ってたところでした」
「よーやく帰ったか、丈。先に一杯やってるぞ」
メンバーの集まるたまり場と化した一号室のリビングは、丈を抜きにしてもすでに充分な盛り上がりを見せていた。
「主役は遅れて登場するもんだろ」
土産だと言って手にしていたチキンを掲げて見せれば歓声があがる。
机をかこむ輪の中に、一ヶ所ぽつりとあいた場所がある。そこが自分以外の誰かのためにあけられた場所だとは今さら丈も思わない。当たり前のようにそこに腰をおろすことを、悪くないことだと思い始めたのはいつからだろう。それはなんとなくくすぐったいことだと思う。同じ場にいてもいなくても、自分という存在は確かにここに存在している。
「ようやく全員そろったわね」
丈と入れ替わるように席を立ったO・Dが、チキンを取り分ける小皿とひときわ大きな箱を手にして戻ってきた。それは駅で丈が見かけた男性の左手に提げられていたのと同じような箱だ。中からは、これでもかというほどきらびやかなフルーツで飾られた生クリームのケーキが出てきた。それが手作りのケーキであることはすぐに見て取れた。
「………なんで」
帰ってくる予定なんてなかった。無理だと伝えてあったはずだ。帰ってこられない可能性の方がずっと高かった。こうして帰ってきたからいいものの、そうでなかったらこの大きなケーキをどう処理するつもりだったのだろう。――帰ってこないことなどないと思われていたのだろうか。
「さあ、みんなでローソク立てるっす!」
フルーツの間を縫って次々とさされていくローソクは、全部が赤い色で揃えられていた。ご丁寧に、年齢の数だけ準備されているらしい。大げさだと止めようと伸ばしかけた手だったけれど、わくわくと楽しげなメンバーの顔を見て苦笑とともに引っ込めた。電気が消され、淡い炎に照らされたメンバーの顔が暗闇にゆらゆらと浮かぶ。
「準備できましたよ、丈さん。さあどうぞ」
「……おいおい、マジかよ」
ローソクの炎を消すよう促されているのだとわかって、それはさすがに勘弁してくれと言うと、清音が「じゃあ全員でならいいですか?」と言った。
「………。まあ、それなら……」
「じゃあ全員でいきますよ。せーのっ」
清音の音頭で全員が息をそろえた。ローソクの炎はあっという間に消え、代わりに部屋のライトがつけられる。同時にクラッカーの弾ける音がいくつもして、紙吹雪が降ってきた。その中心にいることになぜかじんわりときてしまって、紙を払う素振りで頭を振って表情をごまかす。そんな丈の前に、清音が小皿に乗せた手のひら大のケーキを嬉しそうに差し出した。生クリームのみで他に飾り付けのないシンプルなケーキだ。
「これ、丈さんのためだけに特別に作ったケーキです。俺、がんばりました。受け取ってください」
大きなケーキがあるのになぜわざわざと考えて、ハッとする。それは記憶をさかのぼること8月2日。清音の誕生日にケーキを顔にぶつけたのは、他でもない丈自身だったことを思い出す。
「……冗談だろ」
「まさか冗談なわけないじゃないですか。俺、本気です」
「えーとその、なんだ。あれだ、食べ物がもったいないだろ」
「大丈夫です、これは元々食べる用に作ったやつじゃありませんから。余ってしまった材料を無駄にしないよう考えただけです」
「………」
立ち上がって逃げ出そうとした両脇を、いつの間にそばに寄っていたのか、はじめとうつつ、累が押さえた。ご丁寧に、O・Dが背後で新聞紙を広げている。
「待て待て待て待てお前ら。大人をからかうもんじゃない」
「俺はいたって真面目に本気ですよ、丈さん。半年前のこと、まさか忘れたなんて言いませんよね? あの時よりも生クリームが少し多いようにも見えますけど、大丈夫ですから」
「……なにが大丈夫なんだ」
「丈さん、こうなったら覚悟を決めるっす!」
「そうですよ、ここまできたら潔く男をみせてください」
「う、うつうつします……」
口ではそう言いながらも、うつつの顔はどこからどう見ても楽しげで。今ではあまり聞くことのなくなったその口癖を懐かしく思いながら、こうなっては仕方がないと開き直ることにする。チキンを食べられるのは一度シャワーを浴びて、その後になるだろう。あたたかいうちに食べられそうにないのだけが心残りだ。
パイマンが残っていた最後のクラッカーを掲げた。
「いくぞ清音」
「はいっ! せーのっ!」
べちゃり。
クラッカーが弾けるのと同時に、ぬるりと生クリームが顔を覆う。
シャツは洗濯ですむだろうか。ネクタイはクリーニングに出さなければいけないだろうか。飛び散っているであろう生クリームにそんなことを考えながら、垂れるクリームを舌に乗せた。
「あっま……」
クリームの重みに開かない瞳の向こうからは口々に「おめでとう」の言葉が聞こえてくる。ありがとうと返すべきなのかクリームまみれの惨状を訴えるべきなのか迷って、一応「ありがとう」と言った。
まったくなんて誕生日だろうと、熱いシャワーを頭から浴びながら丈は思う。
さすがにこんな誕生日、毎年は勘弁してほしい。勘弁してほしいが、でもたまにならこんな風に祝ってもらうのも悪くないかもしれないと、少しだけそんな風に思った。この一つ年齢を重ねる感覚も、今日くらいは帰れと背中を押してくれる人々も、そしてこうして自分を迎える人々がここにいることも、それは決して悪くないことだ。
そう考えているところにリビングから「早く戻ってこないとチキンが全部なくなりますよ」という声が届いて丈はやれやれと肩をすくめる。
「俺の分はちゃんと取っとけよ、主役だぞ」
いつの間にかこのメンバーがああして食べ物を取り合う心配をするくらいの間柄になっているということも、まったく悪くない。
扉の向こうにそう言い放ち、丈はバスタオルに手を伸ばした。
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丈さんお誕生日おめでとうございます! 本編後に迎える丈さんの誕生日。友情出演は阿蘭さん。
みんなからこれでもかってほどおめでとうと言ってもらってください。
決して上から目線なのではなく、単に丈さんは素直にうれしいと言えないだけです。
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