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君の隣はあたたかい(7組)
(ああ、オレがいったい何をした……)
花井梓。16歳。
若輩ながらも主将として部をまとめる男。クラスではそこまで目立ちはしないが、それでも何かと頼られることも多い。
ああ、それなのに。
「オレ消しゴム忘れた」
今月の席替えで廊下側に陣取った水谷の声が聞こえた。
(あー昨日部室で使ったからな)
「あべあべ、消し貸して」
「おお、いいぜ」
廊下から2列目(つまり水谷の隣)の阿部が筆箱を探る。今回の席替えは、何の因果かオレたち野球部3人を横一列に並べた。阿部を挟んで廊下側が水谷、窓側がオレだ。
何を話すにしても動かなくても事足りるから、この席も悪くはない。
「ワリ、オレも今日忘れたみてー」
「えー、阿部も?」
コソコソとそんな話し声が聞こえて意識を右にずらす。
「花井わりィ、消しゴム貸してくれ」
「ん」
阿部に手渡した消しゴムは水谷へ渡り、その後阿部を経て帰ってきた(ついでに阿部も消したいところがあったらしい)。
「サンキュ」
「おお」
そのまましばらくは何事もなかったように授業が進んだ。説明よりも板書が多い授業は、ほんのちょっと寝ていただけなのに黒板が丸々1枚分進んでいたりするからやっかいだ。各々一心不乱にノートを取る。
はないー。
何となく呼ばれた気がして顔を上げると、阿部の向こう側から水谷が何か合図している。ジェスチャーを読み取る限り、消しゴムを貸してくれとでも言っているんだろう。
きれいな放物線を描いて阿部の上を消しゴムが飛んでいく。
ありがとー。
口パクの水谷に軽く頷いてオレはまた授業に集中し始めた。
(仕方ねー)
仕方ないと思いつつも実は少々めんどい。消しゴムなんて、と思いがちだが、消しゴムはとても大切である。消したいときに消せないのはかなりストレスが溜まる。
それがわかるから貸すのは貸してやる。だが消しゴムはできれば手元にずっと置いておきたい。
(ペンならいくらでも貸してやるけど……)
戻ってきた消しゴムは、またいくらもたたないうちに水谷ではなく今度は阿部の手元に渡ってしまった。
(やべ、間違えた)
消しゴムに気を取られていたら、漢字を一文字間違えてしまった。
「おい阿部、消しゴム」
「ああ、ワリ」
やっと手元に戻ってきた消しゴムは、オレが消した後またすぐオレの元から去っていってしまった。そのまま水谷と阿部の間を行ったりきたりしている。
「おい、お前ら。オレの消しゴムそろそろ返せ」
「ああ、ワリ。でもさ、オレが持ってた方が良くねぇ?」
「は?」
「真ん中のオレが持ってたら水谷も花井も使えっだろ?でも花井が持ってたら水谷使いづれーし」
「いや、そりゃそーかもしんねーけど……」
(そんなんってアリか?だってオレの消しゴムだぞ)
それなのにこの扱いはどうしたことだ。オレの消しゴムは阿部の机の上に置かれたまま戻ってこない。
「阿部、消しゴム使うよ」
「おお、勝手に取れよ」
水谷と阿部は2人で消しゴムを共有し始めてしまった。
「もしもしお2人さん、オレ消しゴム使いてーんだけど……」
「そっか、じゃあ使い終わったら戻せよ」
やれやれ仕方ねーな。阿部がそんな風にため息をついたように感じられたのはきっと気のせいじゃない。しかもオレが使い終わった後は当然のごとく消しゴムは阿部の机の上に持ち去られてしまった。
「だから何で真ん中に置いとく必要があるんだよ」
「だから言っただろ、真ん中にあった方が3人にも都合がいいって」
「そうそう、花井ンとこあったらオレいちいち花井に声かけなきゃだけど、阿部が持ってたらそのまま使えるし。花井だってオレが持ってるより阿部が持ってた方が楽じゃん?それともオレが持ってていい?」
「そりゃ水谷が持ってっより阿部が持ってた方がいーけど……。いや、そうじゃなくてだな……」
「ほらねー、ってことでやっぱ阿部が持ってた方が3人にとってもいいよ!」
「決まりだな。さすがオレら部員のことを考えてくれる我らが主将だぜ」
(コ、コイツラはほんとによぉ……!)
脱力したというかなんというか、オレは思わず机に突っ伏した。
(フツーに考えておかしいだろ。オレんだぞ、オレの!)
確かにオレは野球部主将だ。だがそれと今の状況と何か関係があるだろうか?
(いーや、そんなこと絶対にネェ)
脱力を通り越すとフツフツと怒りが湧いてくる。
(おかしいだろ、ありえねーぞ!)
そのままオレはしばらく突っ伏したまま怒りが過ぎ去るのを待った。しかし寝ていると思われるのは癪だ。教師が不審に思わない程度で起きなければならない。
それはわかっていても、なかなか顔が上がらない。
「オイ花井、オマエにらまれてんぞ」
やけに落ち着いて聞こえた阿部の言葉にオレは仕方なく体を起こす。
しかし思っていたよりも怒りはすぐに過ぎ去っていった。怒りというものは沸点を突き抜けてしまうともはやどうでも良くなってきて、むしろ呆れの気持ちしか感じられなくなってくる。
(まあ、アレだ)
気持ちを切り替えてオレは1人頷く。
(打ち解けてきたってコトだよな)
高校に入学した当初はお互い同じ中学出身の人間と昼を食べていたが、最近では3人でも食べるようになってきた。特にこの席だとお互い移動しなくて元から隣だから、なおさら一緒に食べる機会も多い。
ジャンケンで負けた人間が購買へ買出しに出かけることもある。
(そうだ、これはオレらがそれなりに打ち解けてきたって証拠だ)
そうに違いない。
オレはそうやって自分に言い聞かせた。
「ねー阿部、花井が1人でにやけてるよ」
「何かが頭ン中突き抜けたんだろ。ほっといてやれよ」
そう。こんなことを言われるのもオレたちが打ち解けてきたからだ。
部員2人の快適な授業生活のために消しゴムを貸してやる。ああ、オレはなんて部員思いの主将だろうか。
「ねー阿部、花井まだにやけてるよ」
「何かが頭ン中突き抜けたまま戻ってこれねーンだろ。そっとしといてやれよ」
ああ、そっとしといてくれ。今ツッコミをいれないでくれ。
花井梓。花も恥らう16歳と数ヶ月。
部員思いの心優しき主将。
そう思わないではいられなかった。
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