また明日




 今日も部活が終わった。
 のろのろと、着替えをやっとの思いで終える。もうくたくただ。早く帰って眠りたい。気を抜けばここでも一瞬で眠れる自信がある。
 スポーツバッグに着替えをしまっていると、ふと思い出した。
(しまった、また忘れてる)
 学期末の保護者懇談の希望時間アンケートが配られたのは先週の金曜日。今週の金曜日までに保護者の予定を聞いてくることになっていた。そして今日は木曜日。
 教科書を持ち帰る癖がついてないせいもあり、保護者宛に配布されるプリントはついつい学校に忘れがちになってしまう。
 それでもいつもは必要なプリントは2・3日のうちには持ち帰っていたのだが、今回はなぜか忘れてしまっていた。そして帰宅してから思い出すという日が続いていた。
(今日は持って帰らなきゃ。明日提出だ)
 持ってこない場合は家に直接連絡をすると担任が言っていたから、それだけは避けたい。
(どうしよう、取りに行くしかない、よね?)
 ここにプリントがない以上、教室まで取りに戻るしかないだろう。
「………」
(夜の学校なんて、行ったことない)
 誰もが疲れて一刻も早く帰りたいことを思うと誰かに一緒に行ってくれと頼めるはずもなく。
 そもそも自分から言い出すこともできそうにない。
「三橋、どしたの?固まって。もう帰るよ」
「さか、えぐちくん」
 疲れていても彼は優しい。その笑顔に勇気をもらって話し始める。
 実はかくかくしかじかで……。
「明日提出のプリントを教室に置いてきた?で、取りに行くの?俺一緒に行こうか?」
 その言葉がとても嬉しい。でも家の遠い彼に遅くまでつき合わせてしまうのは申し訳ない。
「でも、遅く、なっちゃう」
「いいよ、そんくらい。大事なんだろ?」
 教室まで付き合うよ。と彼は言ってくれるが、やはり申し訳ない気持ちが強く出てしまう。
 するとそのやり取りを聞いていた田島が自分が一緒に行くと言い出した。
「だって俺んち近いもんねー。俺なら三橋も気ィ使わなくていいだろ?」
「う、うん!」
 栄口もその申し出はありがたかったのか、田島に礼を言って帰っていった。
「あり、がとう、田島くん!」
「いーって。んじゃ行こうぜ!」


 昇降口はすでに閉められているので特別に職員玄関から入り、自動販売機でアクエリアスを買った。冷たさがほてった体に心地いい。
 当然だが校内はもう照明が落ちている。携帯電話で照らして廊下を歩くが、さすがに不気味だ。
「こーいう空気ってさ、なんか出そうだよな!」
「で、出そうって?」
「決まってんじゃん、ユーレイだよ幽霊!」
「ユー、レイ……」
 必死で考えないようにしていたことを田島はあっさりと口にしてしまった。
 そう、どの学校にも7不思議と呼ばれる怪談が存在するように西浦高校にもそんな話がまことひそやかに語り継がれていた。
 メジャーどころは女子トイレの4番目の個室とか数えるたびに段数の変わる階段だが、7つ目まで知ると不幸が訪れるというから誰も6つまでしか知らないことになっている。
「俺前じいちゃんに7つ目聞いたんだけどさ、三橋知ってる?」
 田島の問いかけに必死で首を振る。7つ目どころか1つだって知りたくなかった。  だが田島は知らないなら教えてやるよと話し始めてしまう。
(やだやだ、田島くん止めようよ)
 必死に目で訴えるが暗いせいもあり気づいてはもらえなかった。
「ここって昔古墳だったらしいんだよ」
「こ、ふん?」
(こふんこふん。行ったことあるような気がするけど)
 必死で記憶をたどると、中学時代遠足で見学に行った記憶がよみがえる。確か有力な豪族や貴族の墓だったはずだ。
「すんげぇ昔の墓だよ。でさ、こっからが大事なんだ」
 田島の目が据わっている、ように見える。
「その古墳はこの地方の王様の奥さんの墓だったんだけど、それから何百年かたって、畑を作るってんでぶっ壊されちまったんだ。ところがその畑の持ち主の一家におかしな死に方をするやつが続いてさ、おかしいっていうんで偉いお坊さんに見てもらったら……」
「………」
「墓を壊された女の人が怒ってるって。んでお供え物してお祈りして皆でその女の人を祀ったんだ。そしたらおかしな死に方をする人間はいなくなったけど、今度はその畑では何にも採れなくなっちゃったんだって。三橋はなんでだと思う?」
「?」
(何でだろう。女の人はもう怒ってないんだ。なら普通の畑と変わらないのに)
 西浦高校のまわりは畑で囲まれており、野球部が練習をしているグラウンドの脇には田島家の畑が広がっている。
「実はな、女の人のせいでおかしな死に方をした人たちが今度は怒ってるんだって。だからその恨みで畑では何にも採れねぇの」
「おか、しな死に方って?」
「それは言えないよ。言ったら三橋恐がっちゃうじゃん」
(もう十分恐いよ田島くん!)
 彼にはこの青ざめた顔色が目に入らないのだろうか。ああ、暗いから見えないのか。
「そんで畑にしてても役に立たないからってここは学校になったんだけど、今でも墓を壊された女の人や死んだ人たちが化けて出るんだって。目の前とか後ろに急に現れて……」
 その言葉に慌てて背後を確認する。大丈夫何もいない。
「そんな恐がってると逆に出るよ。恐がるなって」
「う、うん……」
 それきり田島は何もしゃべらず、沈黙がしばらく続いた。ただでさえ暗くて不気味なのに、「じいちゃんから聞いた」という点やわざわざ墓でなく「古墳」という辺りがいかにも本当ぽくて不安はどんどん募っていく。
 その時、何かが目の前から落ちてきた。先ほどの田島の言葉を一瞬で思い出して身がすくむ。
「ヒィッ!」
 カツーン。静かな廊下に何かの音が響いた次の瞬間。
「出たぁ!」
「ギャアアアアアー」
 この世の終わりを見たとでもいいたげな悲鳴が廊下中に響き渡った。その声が自分から出たと気づくことすらできず、頭を抱えて廊下にうずくまる。
 恐くて前も後ろも見られはしない。忘れ物をした自分をこれほど恨めしく思ったことはなかった。
「……はし、三橋!なあ三橋ってば!」
 ゆさゆさと体が揺れているのに気づいて恐る恐る顔をあげると、困ったような田島の顔が目に入る。
「だいじょーぶか?ちょっとおどかしすぎたな、ごめん」
(?)
「ほら、コレ」
 それは先ほど自動販売機で買ったアクエリアスの缶だった。
「さっき上から落ちてきたのコレだよ。じいちゃんから聞いた古墳の話も全部ウソ。だから安心しろよ」
「……ウ、ソ?」
「そう、ウソ」
(よ、よかったぁぁぁぁぁ)
 ほっとすると、逆に今度は安心して涙が出てくる。
「ごめんな。こないだ日本史で古墳ならっただろ?それでつい。もうしない。ごめん」
 左手を引っ張って起こされる。
「ほら、もうすぐ9組着くぞ。プリント取って帰ろーぜ」
「うん……」


 学校からの帰り道。当然だが今度は何も起こらなかった。
「三橋って恐がりだったんだな。恐い話はキライか?」
「うん、あま、り好きじゃないよ……」
「そか。なら今度から気をつけるよ。マジごめんな」
 田島が本気で謝っているのがわかる。
「ううん、いい、よ。気にしな、いで」
 恐かったのは事実だが、と思う。
(オレ、すっかり忘れてた)
 それは校舎に入るまでは頭の中にあった、田島をつきあわせてしまったという罪悪感。
 1年9組はどのクラスよりも一番遠い場所にある。練習終了後に田島に余計な時間を割かせてしまった自分が自己嫌悪で暗くなったりしないように話題を振り、場を盛り上げようとしてくれていたのかもしれなかった。
(すごいなあ、田島くんは)
 果たしてそれは計算されていたのか、無意識の行動だったのか。
 計算だとしたらなんて優しい人だろうかと思うし、無意識だとしたらなおさら尊敬してしまう。
 きっと一緒にいた相手が自分ほどの恐がりでなければ彼の盛り上げは成功していただろう。
「平気、だから。気にしな、くていい、から……」
 その言葉に田島は嬉しそうに笑う。
 いつの間にかもう分岐点まで来ていた。
 彼は今日もまた、一番聞きたかった言葉を言ってくれるだろうか。
 期待に胸を膨らませて次の言葉を待つ。
「じゃあな三橋。また明日な!」
「うん、ま、また、明日ね」
(また明日)
 中学時代まではほとんど聞くことのできなかった言葉を高校に入ってからは毎日言ってくれる人間がいる。
 本当はそんなことたいしたことではないのかもしれない。
 けれどそのことにとてつもない喜びを感じる人間がいることを自分は知っている。
「おはよう」「じゃあな」「また明日」
 それらの言葉に自分がどんなに幸せな気分を味わっているか、おそらく誰も知らないだろう。
 朝には挨拶を交わし、帰り際には次の日も会う約束をして。
 以前栄口におはようと告げたことを思い出す。
 あの時は返してもらえるか、嫌な顔をされたりはしないかという心配をしていた。でも彼はそんな心配をしていた自分に笑ってあいさつを返してくれた。
(きっと他の皆だってそうなんだ)
 そんな予感を噛み締めて家路を急ぐ。
(明日は自分から言ってみよう)


 心に芽生えたほんの小さな、けれど大切な決意を大事にしたいと思う。