一緒に月をながめましょう





「おつかれさまでしたー」
 夕方5時。終業時間を告げるチャイムが鳴った。いつものように帰り支度を整え、鞄を持って席を立つ。すると入口で、ちょうど外回りから帰ってきた同僚に「丈さんもうちょっと待ってなよ」と呼び止められた。
「なんですか?」
「多分あの子が来ますよー」
「あの子……」
「さっき交差点のところで見たんで、多分もう5分ちょいくらいじゃないですか? すごく急いでたみたいだし、帰らずに待っててあげてくださいね」
「……わかりました」
 “あの子”というのは十中八九、清音のことで間違いないだろう。丈を訪ねて何度か顔を出しているおかげで、生活安全課には清音の顔を知っている人間も多い。
 定刻を過ぎれば市役所を出てしまう丈を引き留めるために急いでいるのだろう。間に合いそうにないのならNOTEを活用すればいいのにと思うが、規律を重んじるパイマンに「私的利用は厳禁だ!」言われたことを清音は律儀に気にしている。
(……しかたねえなあ)
 仕方なく丈は同僚に清音への伝言を託し、喫煙スペースへと足を向けた。
 丈はここ数日CAGEへ顔を出していない。もちろんのこと、マンションにも戻っていない。さしたる理由があったわけでもなく、なんとなく気が向かなかった。どこにいたとしても召集がかかれば応じざるを得ないが、ここ数日それもなかっただけのこと。
 姿を見せない自分が元気にしているかと気にしていることは、わざわざ清音に聞かなくてもわかる。



 世間の荒波にもまれて片隅に追いやられていく喫煙スペースは、丈がこの建物内の中で自分の机とトイレに続いてもっともよく足を運ぶ場所だ。夕方の涼しい風が、細い煙を空へと押し上げていく。
 本格的な秋を迎え、短くなってきた陽が落ちる。そういえば今日は中秋の名月と十五夜が重なる珍しい年だと昼間に誰かが言っていた。月を愛でるなんて趣味はないが、ふと懐かしい気持ちがしてまだ明るい空に月を探しながら、取り出したライターで煙草に火をつける。
「……うまい」
 勤務中ともなれば市民の目もあり、そう頻繁に煙草ばかりを吸ってはいられない。肺に染みてゆく煙が美味かった。
「丈さん!」
 ついさっき丈が出てきたばかりの建物から姿を見せた清音が、その左手に携えた刀と一緒に手を振った。
 ちなみに清音が常にその左手に持っている刀は、丈とのコンビ期間を終えて独り立ちすることが決まったときにガッチャマンの本部から贈られた品である。刀身の長さや抜き身の重さにその装飾までを清音に設えた特注の仕様で、知る人が見れば涙を流して欲しがる価値があるという。
 いくら鞘に収まっているとはいえ真剣をそのまま持ち歩くことはできないし、それほど価値のあるものなら盗難も恐ろしい。そこで丈は太刀袋を清音に贈ることにした。日常で持ち歩くことを考えて、布地はできる限りシンプルに。
 安いものでないのはわかっているのだろう。清音は恐縮してなかなか受け取ろうとしなかったが、手塩にかけて育てた可愛い後輩が一人前として認められた嬉しさも手伝って、無理やりに受け取らせた。
「良かった……。ま、まだ……いてくれたんですね」
 よほど急いで来たのか、清音の息はまだ整っていない。
「課で伝言聞いたんだろ? あの人に『お前が走ってるから待ってあげてくださいね』って言われたんだよ」
「あ、ありがとうございます。……すみません」
 生真面目に謝る清音の頭を小突き、ためしに何の用だと尋ねてみる。案の定、清音はその問いにはっきり答えることはできずに口ごもった。
「ああ……。いやその、特別な用事があったわけではない……んです」
「だろうな、それくらいお見通しだ」
 とはいえ、確かにそろそろCAGEへ顔を出しても良いかもしれない。「行くか」と煙草の火を消して鞄を手に取ると、清音の表情があからさまに明るくなった。
「お前も熱心だな」
「……別にそれだけが理由じゃありませんし」
 どこにいるのか居場所も伝えない先輩のお守りは大変だろうと清音を労うと、「自覚してるならなんとかしてください」とあきれたように返された。年々たくましく育っていく清音のことを思うと、なぜだかとても楽しかった。
「ああそうだ、ちょっとこれ持っててください丈さん」
 太刀袋を丈に手渡して、空いた手で何やら鞄をごそごそと探っていた清音から差し出されたのは、一本のみたらし団子。
「どうしたんだこれ」
「みたらし団子です」
 その答えには、さすがの丈も「見ればわかる」と返すしかない。聞きたいのは、あまり買い食いなどしたがらない清音が団子を丈に差し出すその理由の方だ。
「今日は満月なんですよ」
 ――だから、丈さんが良ければお月見をしませんか。
 少し照れくさそうにそう付け加えた清音の様子を見て、なるほどそれが市役所までわざわざ訪ねてきた理由かと丈は察した。
「市役所まで来る途中の道で、やけに人だかりができてて。食べてる人がみんなおいしそうにしてたので、思わず立ち止まってしまいました。……そしたら思いのほか時間を食ってしまって、丈さんがいなかったらどうしようかと焦りましたよ」
 ただ「はいどうぞ」と団子の串を目の前に差し出されても、片方に自分の鞄、もう片方に清音から手渡された太刀袋を持つ丈にその団子を受けとる術はない。ややあってそれに気づいた清音が困ったように首をかしげた。清音の手もそれぞれ鞄と団子によってふさがれている。
「はい、丈さん」
「はいってなんだ」
「だからはいって。あーん、です」
「はあ!?」
「いいじゃないですか今日くらい。俺が小さい頃は丈さんがこうしてくれてたじゃないですか」
「何年前の話だよ」
 それでも鞄を土の上に置くよりはマシな案だろう。市役所にまだ近いここでは、いつ同僚に見つかるとも限らないが、丈はしぶしぶ口を開いた。
「はい、あーん」
「お前な……」
 楽しげな清音に太刀袋を返し、丈は口に突っ込まれた団子を咀嚼する。たっぷりとかけられたみたらしの餡が甘すぎずちょうど良い加減のおいしい団子だった。
「何年も前じゃありませんよ」
「……なにがだ?」
「丈さんが俺にあーんってしてくれたの、ほんの一年前にもありましたよね。ちょうどこれくらいの時期だったと思うんですけど」
 言われて丈は、なぜさっき満月を懐かしいと感じたのかをようやく思い出した。それは一年前、清音の独り立ちがいよいよ決まり、太刀と太刀袋がCAGEに届く手はずになっていた日のことだ。
「ああ、そういやそんなこともあったな……」
 一年前のその日、丈はいつも通りに定時で役所を後にしてCAGEへと向かっていた。めでたい日でもあるし、丈が来るのを清音が今か今かと待ち構えているのはわかっていたから足取りもなおさら軽くなる。その途中で丈は今日の清音と同じように団子屋の列を見つけた。
(なら、この団子は俺が去年に買ったのと同じ団子か)
 清音くらいの年ごろならケーキのほうが嬉しいのかもしれないと考えて一度は通り過ぎ、それはすでにO・Dあたりが準備しているような気がして、丈の足は再び団子屋の前へ戻ってきた。
 そしてCAGEで待っていた清音に、たっぷりと餡のかかった団子を手ずから食べさせたのだった。
「あのときのお前、右手に太刀袋、左手に太刀を引っ提げて手放そうとしなかったよな。そのくせ団子は団子で食べたそうで……」
「だって太刀も袋も嬉しくて離したくなかったんですよ、仕方ないでしょう」
 一年前のことを思い出して懐かしく笑うと、清音が「早く忘れてください」と言った。
(もう一年も……)
「じゃあこれが俺の手元に来て、もうじき一年になるな」
「使ってくれてありがとうございます」
 丈がいついかなる時も手放さないものが、他人にその価値はわからないであろう赤い小さなNOTEとシルバーのライター。太刀袋が丈から贈られた祝いの品だと知った清音が、その一週間後に丈の元へ届けたのがこの手に馴染むようデザインされたライターだった。
「俺、丈さんにあまり吸い過ぎてほしくはないんですけど、煙草を吸う丈さんは嫌いじゃないんです」
「そうか」
 昔はそれなりに値の張るジッポーをいくつか所有し、日によって100円ライターと交代で使い分けることもしていたが、このライターを清音から贈られて以来それらは一度も使われることなく物置部屋で眠っている。この丸みがかったフォルムは、この一年ですっかり手に馴染んでいた。こまめに手入れをして磨いてやれば、まだ数年はもつだろう。


 行儀悪く歩きながら団子を食べ終える頃には、CAGEのそばまで着いていた。ふと振り返ると、ちょうど歩いてきた方角に大きな月が登っている。秋になって空気が澄んできたからこそ美しく映える、昼と夜の混ざり合う瞬間の空と月。
「なあ清音」
「なんですか?」
 開いたエレベーターに乗り込んだ清音が、行き先を示すボタンにNOTEをかざしながら振り返る。その後を追ってエレベーターに乗り、月を指差した。
「月がきれいだな」
「ええ、きれいですね。でも知ってますか丈さん、月はいつもきれいなんですよ」
 清音の言葉と同時に扉は閉まり、それからCAGEまでのわずかな間を沈黙が占めた。
(……どういう意味だ)
 夏目漱石がかつて「I Love You」を「あなたといると月がきれいですね」と訳したかの有名な逸話を、清音が知っているのかどうなのか。清音の言葉は「月は満月でも三日月でも美しい」と額面通りに受け取れなくもない。
 迷いに迷い、結局その真意を清音に問いただすことができなかった丈に代わり、答えは清音自身によってもたらされた。
「俺、ふとした瞬間にこの太刀袋を見ては、丈さんのことを思い出してます。だから月はいつでも、どんな月でもきれいです。俺はそういう意味で言ってます。……丈さんは、そのライターを見て俺のことを思い出すことってありませんか」
「………」
 真っ直ぐに向けられたその瞳に射抜かれてしまったように、どうしようもなく動揺した自分の気持ちにもう見ないふりはできない。最下層についてしまったエレベーターから、清音が外へ足を一歩踏み出そうとしたその一瞬。丈は清音の太刀袋に手を伸ばした。
「うっわっ!?」
 後ろに引き戻されてバランスを崩したその体を羽交い絞めにし、耳元で小さく囁く。



 ――今夜、一緒に月をながめませんか


 耳まで真っ赤に染まった清音が、小さくコクンと頷いた。



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   丈さんの持ってるライターと清音くんの太刀袋が、お互いへのプレゼントだったら、
   いつでも見るたびに嬉しくなって幸せですね!と思ったらたまらなくなりました。
   丈さんのライター、わりとお手頃で、清音くんのおこずかいでも手に入りそうじゃありませんか……。
   きっとそうだと思います。
   本編よりも前のお話。本編が2015年とのことなので、ちょうど2013年の秋くらいでいいかもしれません。

   あとお月見の団子にかこつけて「あーん」が書きたかった。
   真っ直ぐに向けられた清音くんの気持ちに、丈さんはきっとたじたじしていると思います。



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