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上り坂も下り坂も駆け抜けて
「っありあとやしたー!」
(っしゃ!)
心の中で小さくガッツポーズをとる。
(今日はよく飛んだ)
夏大会の後、花井は他の誰からも追いつかれないように飛距離を伸ばすことにした。それはいつになっても考え込みがちな花井に飛距離を武器にして自信をつけさせようとした監督の計らいかもしれなかった。
そのつもりで意識して練習するからか、タイミングやその他諸々が上手くかみ合わさったときはなかなか良い距離が出るようになってきた。
今までだって不真面目に練習に取り組んできたつもりはないが、目に見えて成果が出ると嬉しいからかやる気が俄然違ってくる。
「イメージイメージ………」
バッターボックスから離れて後ろへ戻り、他の人間に混じって素振りを続ける。
青い空に真っ直ぐ飛んでいく球でも、具体的に球場をイメージして外野の木に突き刺さる球でもいい。
(ホームラン!)
「ホームラン!」
バットを振った瞬間に大きな声がかぶさってきて、ああまたかと思う。
目線をあげなくてもすぐにわかる。この声は田島だ。
夏体前に田島がやっていた打つ前にやっていた自分で自分の練習レベルを上げる方法は、その後部員に徐々に浸透していった。思い思いの方向へ打球を打てるよう、あるいは方向に関係なく飛距離を中心に考える者もいる。
その先駆けとなった当の田島はいつの間にやら8割を超えてほぼ正確に方向を定めて打てるようになっていた。目標を達成した田島がその後目指すようになったのは、結局は花井と同じ飛距離を伸ばすことだった。
勘を忘れないためか毎日数球は方向を定めて打ち返すが、それ以外は基本的にホームランとだけ叫ぶようになった。
「ホームラン!」
田島の体格ではホームランは打てない。1人で点を取れないからこそ他の人間の力が必要であることは、三星戦であのときベンチにいたメンバーは皆知っている。
「ホームラン!」
ちょうど飛距離も伸びてきたところでもあるし、田島がいくら頑張ったとしても今はまだ負けない。
でもいつか田島の背が同じくらいに伸びてガタイが良くなったら?
田島ほど正確な場所には打ち返せていない。田島ほど早くは走れない。スタミナをつけたつもりでも、スタミナは同じように田島にもつく。
(オレは田島に追いつけねーのか)
さっきまであんなに盛り上がっていたのに、気持ちはすぐに萎えてしまう。実はこんな気持ちになるのは今日が初めてではない。
(負けるつもりはねーのによ……)
お茶を飲む振りをしてそっと素振りをするメンバーから離れ、ベンチに座って田島の姿をぼんやり眺める。
「ホームラン!」
ホームランの声を聞くたびに思い出すのは三星戦での監督の言葉だった。
田島には体格がない。それでもその欠点を補って余りあるセンスの良さが田島にはあった。
(努力する天才ほどやっかいなヤツはいないって、誰か言ってたな)
田島と4番を張り合おうとした頃が懐かしかった。
三星戦で実力の差を痛感してからできる限りの努力はしている。テスト週間だって走りこみは欠かさなかった。素振りだってやった。
力は確実についてきている。それなのに追いついたと思ったら、その頃には田島はいつだって前を行ってしまう。
(今に飛距離だって追いつかれるかと思うと、やりきれねー)
いくら走りこんでも、いくら素振りをしても、歴然とした埋められないその差はどうしたことか。
「相手との実力差がわかるのも、君が充分力をつけた証拠だ」
なんとなく目をそらすと、いつの間にか隣に並んでいた志賀が急に話を振ってきた。
「……オレが考えてンのが“今日の夕飯なんだろ”だったらどうするつもりでしたか」
「ちなみに僕んちは今日はコロッケだって」
「………。そーッスか」
はっきり否定しないことが肯定につながるとまでは、まだ考えが及ばない。やはり志賀は何枚も上手だった。
「大丈夫。まだ君は伸びるよ」
「……何でそんな風に言えますか」
「それくらいはわかるよ。これでもずっと高校生を間近で見てきたからね」
(そんな確証ありえねーよ)
正直、志賀の言葉なんて気休めにしか感じられなかった。やたらスポーツ科学には詳しくても志賀は野球の世界ではまったくの素人でしかない。対して花井は幼い頃から何年も野球に携わってきた。
そんな状況で志賀の言葉を無条件に信じられるほど幼くはなかった。
「大丈夫、まだまだ伸びる」
でも白状すると、涙が出るかと思った。
気休めにしかならなくても、今はそれでもいい。
きっとまだ伸びる。たったそれだけの言葉がこんなに嬉しいなんて。
「♪もーいーくつ寝ーるーとー♪」
突然軽快な歌声が聞こえてきて、顔を上げないにしろ意識がそちらに向かう。
「♪おーしょーぉーがーつー♪」
「♪おしょぉがつにはー餅食ってー♪」
「♪はーらを壊して大変だー♪」
「♪はーやくーこいこい救急車―♪」
隣で志賀が盛大に噴出した。
「っなんだその歌詞!全然ちげーだろ!」
反応するつもりなんてなかったのに、思わずいつもの癖が出てしまう。
「花井だってよく歌っただろ?2番もあるぞ!」
「2番?」
「♪もーいーくつ寝―るーとー♪」
「いい、歌わなくていい!」
(どーせロクな歌詞じゃない)
楽しげに歌いだす田島を慌てて止める。そんな歌をグラウンドで歌われてはかなわない。
「なんだよ、花井のケチー」
「ケチじゃねぇだろ!」
「やれやれ、作詞した人には失礼極まりない話だな」
志賀はよほどツボにはまったのかずっと笑っている。
「ったく、田島のヤロー」
「ホラ、三橋も歌おーぜ。せーのっ」
「♪も、もーいーくつ寝―るーとーっ♪」
「三橋まで歌わなくていいから!」
残念ながらそれをきっかけにグラウンド中に歌声が伝わっていく。ふざけた水谷が音頭を取り出した頃には替え歌の歌詞について談義が始まっていた。
「“餅食って死んじゃう”んじゃねぇの」
「そーそー、そんで来るのは“霊柩車”だよな!」
「縁起でもねーよ。笑えねー歌詞は止めとけ」
「こーいうのも地域性か」
「せーのっ」
『♪もーいーくつ寝ーるーとー♪』
「花井も歌えよ」
「なんでオレが!」
『♪おーしょーぉーがーつー♪』
「いーじゃん歌えってばー」
「だからヤだよ」
『♪おしょぉがつにはー餅食ってー♪』
「花井」
「なんすか先生」
「こういうのは歌ったモン勝ちだよ」
(志賀までンなコト言いやがる!)
『♪はーらを壊して大変だー♪』
「ほら花井も歌えって」
(ああもう)
「♪はーやくーこいこい救急車―♪って何で誰も歌わねぇんだよ!」
「……花井ってホント予想通りだよな〜」
「素直というかなんというか」
「バカ正直っつーか」
「それが花井のいいところだよ」
「嬉しくねーよ!」
これからどう化けるかなんてまだ誰にも、もちろん自分自身にさえもわからない。
(先は長いぜ)
たまにめげそうになることはあっても本気でめげることはない。
花井が考えていたことも志賀との会話の内容だって誰一人知るはずはないのに、さっきまでウジウジとしていた気分なんて吹っ飛んでいた。
「♪もーいーくつ寝ーるーとー♪」
誰かが飽きたと言い出すまで歌は続く。
来年も再来年もこのメンバーでずっと野球ができたら。
もうすぐやってくる新年にそう願おう。
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