見えない背中

s i d e 沖 一 利



 たまにだけど、無性に人のことがうらやましくなることがある。
 例えば自分にはできないことができる人間。例えば今、オレは水谷がうらやましい。


 水谷文貴という存在はいつだって場を和ませる。空回りしているように見えて、その存在は偉大だ。練習で疲れているときだって、水谷の一言で空気がグッと軽くなる。
「もうバテた〜。オレ今日の授業はゼンメツかも」
「オマエあの程度の練習でンなこといってっと、明日からどうすんだよ」
「ダイジョーブ。今日は今日。明日からのオレはネオ水谷になるから平気!」
「そーかそーか、ネオになるか。ま、頑張れや」
「流すな!」
「なー水谷、ネオってなんだ?」
「ホラあれ、ニューと一緒。『新しい』だよ」
「じゃあニュー水谷でいいじゃんか」
「だってネオの方がカッコイイし」
「オマエにはニューで充分だ。オマエは今からニューと呼ばれることになるだろう」
「そんな予言いらないから!カンベンしてよ、せめてネオって呼んで!」
「おいニュー、きのー7組でやった小テストの範囲教えて」
「おいニュー、着替えくらいちゃんとたためよ。だから服がしわくちゃになるんだろ」
「おいニュー、さっさと教室あがんぞ。宿題やっちまわねーとな」
 新しい水谷のあだ名が決まり、早速おもしろがって田島・泉・阿部が呼び始める。こんな場合、基本的に残りのメンバーはおもしろがって笑っている。
 でも笑うって大切なことだ。こんなやりとりがあるから、皆練習に疲れたまま授業を受けなくてもいいし、帰らなくてもすむ。
 水谷がある程度意識してそんな風に振舞っていることくらい、誰もが知っている。決して「わざとお調子者をしている」と水谷自身が言ったわけではないけれど、それくらいは何となくわかる。それでも自分からそんな役を引き受ける水谷を、スゴイと思う。
 人を笑わすことのできる水谷がうらやましい。自分にはできないから、いつも声をかけることしかできない。
 西浦野球部には、水谷の存在はとても大きい。たった一言で場を和ませる。そんな風になれたらと思うけど、なかなか難しい。


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 今日もまた勝負が始まる。
 最近野球部ではシールを使った二人一組の勝負が流行っている。
 背中やカバンにシールを貼り付けて気づかれなければ勝ちという、いたってシンプルなゲーム。
 さりげなさを装うかなりの精神力と、絶妙な指先の力加減が必要だ。シールに気を取られていては表情でバレてしまうし、あまりに表情を完璧に作りすぎてしまうと指先に力が入って貼り付けた瞬間に悟られてしまう。シールをめぐった、なかなかに熱い勝負なのだ。
「沖、背中につけられてンぞ」
「え、うわホントだ。ありがと!」
 着替えでバタバタしていた間に水谷につけられていたんだろう。背中にペッタリと貼られていた四角いシール。
「あああちょっと、言っちゃったら意味が無いじゃんか!」
 今回は自信があったんだろう。水谷が悲鳴をあげる。
「はい水谷、もっかい頑張って」
 西浦では15分という特別時間ルールが設けられているため、貼っただけでは水谷の勝ちはない。
 もう何度も貼ってはがされたせいで粘着力の落ちてしまったシールを、少しわざとらしく水谷の服に貼り付ける。
「なんで皆沖にはゆーワケ?オレにシールがついてても言ってもくれなかったクセに」
 実は水谷の勝利が周りからの助言によってフイになってしまったのはこれで三度目だ。
「それは、なあ?」
「うん、そりゃは仕方ねーよ水谷」
 阿部と泉が顔を見合わせてなにやら頷いている。
「だって沖とオマエだもんな」
 その言葉に隣で着替えていた西広が吹き出した。
「あーもー、全っ然意味わかんねー」
 水谷が本気で泣き出しそうに見える。いや、怒り出しそうな気もする。
「皆オレに対する扱いヒドクない?」
「………」
「………」
 しばしの沈黙の後、部室は笑いの渦に包まれた。
「おまっ、今頃気づいたのかよ!?」
「前から思ってたよ!でも言わなかったんだよ!」
 彼は彼なりに自分の扱いを気にしていたらしい。あまり笑ってはかわいそうかもしれないが、笑いたい。
「沖もなんとか言えよ、オレらのオトコの勝負に口出すなって」
 水谷はかなり不満そうだ。その様子に、もう笑いを抑えきれない。
「おーい水谷ー」
 どう答えてやればいいだろうかと思っていると、扉のところから巣山と栄口が水谷を呼ぶ。
「頑張れ水谷、応援だけはしてっからさ」
「そうそう、どっちも応援してるから」
「……そりゃどーも」
 さすがに水谷がかわいそうになってくるが、これはこれで水谷らしいのかもしれないとも思う。
「う〜ん、仕方ないよ水谷」
「なんで?」
「だって勝負してんのがオレと水谷だしさ!」
「沖までそう言うのかよ!そんなの理由になってないし!」
 笑い声は部室の隅々にまで広がって、もう止めようがない。
「まあまあ水谷、コレあげるからさ。元気出してよ」
 カバンにミルクチョコレートが入っていたのを思い出す。イライラには甘いものとカルシウムだ。
「ああもう!」
 少しそのチョコレートを見つめ、大きな声で叫ぶと水谷は皆と一緒になって笑い始めた。そうやって一緒になって笑える水谷がとてもいいと思う。
「次は負けないからな、沖!」
「望むところ。いつでも受けて立つから」