想うはあなた一人




 その花は一番好きな花ではないし、町の花屋で見かけたこともない。むしろこんな花を置いている花屋は日本ではきっと珍しい。
けど決まったこの時期に咲き乱れるその花を一輪も見かけない町はきっとない。
 その花を少し特別な目で見るようになったのはいつの秋だったか、ばあちゃんの話を聞いてからだ。今年もまた秋がやってくる。


(お、もうそんな季節なんだ)
「ほら三橋、曼珠沙華発見」
「?ま、んじゅ、しゃげ?」
「そう、まんじゅしゃげ。三橋知らない?」
 あれだよ。そういって指差した先には、グランド脇の畑に沿って一列に並んだ赤い花。
「あれ、って、彼岸花っていうんじゃない、の?」
(ああ、そっか)
 不思議そうな三橋の言葉に、当たり前の事実を思い出す。
「うん、普通は皆彼岸花って呼ぶね。でもオレは曼珠沙華って呼ぶんだ。彼岸花じゃなんか花がかわいそうでさ」
「???」
 三橋の顔にはハテナマークが浮かぶ。そりゃあそうだ。日本人にとってあの花は彼岸花だ。
「今ってちょうど彼岸だろ?この時期に咲くから彼岸花っていうんだ。あ、彼岸ってわかる?」
「うん、なんとなくなら……」
「しかもあの花って毒があってさ、食べたら死ぬから彼岸花って呼ぶって説もあって。そんで墓場にも多いだろ?動物に荒らされないように昔の人は畑や墓場に植えたんだ。でもそのおかげで彼岸花=死ってイメージがついちゃったらしいんだよ」
「オ、レ死人花って呼び名聞いたことあるよ」
「うん、それも墓場のイメージなんだろうな。不吉だ死を呼ぶぞって、家に持って帰ると火事になるとか言われたりもするし」
「そう、だったんだ」
 突然始まった花の話を三橋は、驚きつつも頷いて聞いてくれる。
(三橋、つまんなくないのかな?)
 相手に聞いてもらえていると思うと、ついついこちらも知っていることをすべて伝えたくなってしまう。
「でな、さっきオレが言ってた曼珠沙華ってのはもとは仏教に関するコトバで、『死』とかそんな意味は全然ないんだ。何かそっちの方がいい気がしない?」
「うん。でも俺、全然知ら、なかった、よ。スゴイね沖くん」
 物知りだなあとキラキラした目で見られると、なんだか照れくさい。決して本で調べて得た知識ではないのに。
「実はオレも前ばあちゃんに聞いたんだ。きれいな花だしきれいな名前もあるのに、咲く時期とか毒のせいで悪いイメージついちゃってなんだかなって」
 あの花が畑や墓を守るために必要とされていたことは間違いない。田畑の周りや墓場に植えたのは他でもない日本人だというのに。
(それなのにあんまりな扱いだよ)
「そういうの知っちゃうとオレあの花を彼岸花って呼ぶのがイヤで。曼珠沙華って呼ぶことにしたんだ」
「なる、ほど。そうだね」
 こくこくと頷く三橋が「オレも今度から曼珠沙華って呼ぶ」なんて言い出して、少し笑ってしまった。
(まったく、三橋って素直だなぁ)
「休憩終わりだよー、集合!」
 グランドに百枝の声が響き、思い思いの場所で休んでいた部員たちが体を起こす。
「お、行くか三橋」
「う、うん!」
 立ち上がって走り出す直前に、もう一度曼珠沙華を見る。
 今目の前で咲く花にある人物を重ねて見ているとしたら、それは彼にとってやはり失礼な話だろうか。



 大輪の花を咲かせるそれは、花の咲くときには葉がなく、葉のあるときには花がない。
 どこか不安定なように見えてしっかりと大地に根付いて。毎年咲くその花は。
(まるで三橋みたいだって思うんだ)
 中学時代のヒイキが原因で自信をなくした三橋は、それでも高校へ入学して野球部へとやってきた。
(三橋ってほんとに投げるの好きなんだな)
 現在西浦の控え投手である自分だからこそ、三橋のスゴさは誰よりもよくわかっているつもりだ。
 中学時代の経験だってあるし、他に比べて左利きという有利な部分もある。コントロールだって別に悪くはない。いわゆる自分はごく普通の投手だ。
(でも三橋の9分割ってなぁ。そんなん聞いたことすらないよ)
 庭にあった手作りの的。部屋に転がっていたボールの数。昼休みと角材ワインドアップの成功。しょっちゅう投球制限数を超えては阿部に怒られる姿。投げるときの集中力。
 三橋の投球に対する努力の跡はそこかしこに感じられる。
 高校入学後急にということはないだろうから、彼は中学時代もしくは小学校の頃から毎日コツコツと練習してきたに違いない。
(なんでわかんなかったんだろう)
 三橋がどれほど陰で努力しているかなんて、そばにいれば誰にでも理解できそうなものなのに。
 努力がすべて実を結ぶかなんてだれにもわからないけど、三橋は実際にその努力で9分割のコントロールを身に付けている。
 少なくとも西浦野球部に三橋の努力を認めていない人間はいない。間近でそれを感じているからこそ、張り切って後ろを守ろうという気にもなる。
 本当にヒイキがあったのかなかったのかはわからないが、三橋の祖父が学校経営者だったことは三橋の不運だ。仮にヒイキがあったとしてもそんな監督にあたってしまったのも不運といえなくはないし、さらには他の部員の叶に対する期待と。
 いくつかの不運が重なって「ヒイキでエースになった」という不名誉な称号を受け取ってしまった三橋の姿はまるであの花のようだ。
 毒性があるのも墓場に植えられたのも秋になれば咲くのも、決して花のせいではない。
 同じように、三橋の祖父が学校経営者だったことは三橋のせいじゃない。同じチームにもう1人叶という良い投手がいたことも三橋のせいではない。
 三橋の欠点はずばりコミュニケーション能力不足。
(でもそれだけの理由で、三橋がああまで追い込まれる必要はきっとなかったんだ)
 三橋はエースという称号を手に入れるための努力はしていた。ただ少しボタンを掛け違って周りとうまくやっていけなかっただけだ。
 一方、もう2度と立つことはないと思っていたあの場所に登ることになった自分。
 マウンドに登るたび緊張もすれば自分でいいのかなんて迷いもする。どう考えても投手は気弱な自分に向いたポジションではない。
 でもそう思っても、逃げることはしない。
(だって、それが三橋に対する礼儀だ)
 マウンドという場所は唯一三橋の安らげる居場所だ。それなのに誰よりもマウンドを独り占めしたいはずの三橋が、自分と花井にだけあの場所をあけ渡してくれる。
 夏を乗り越えて少しずつ変わってきた彼の様子を嬉しいと思う。
(三橋って母性本能くすぐるタイプだよ、絶対)
 この部活には三橋をフォローできる人間が集まっている。もちろん世話を焼きすぎることが三橋のためにならないのもわかっているけど。
 三橋もおどおどしながらもコミュニケーションがちゃんと取れるようになってきている。
 この調子で人に慣れていけばいい。
 視線の先には投球練習を始めた2人の投手の姿。
(花井も頑張ってるもんな)
 彼は監督の指示通りにフォームをチェックし、その自慢の肩をうならせる。
 そして三橋と組む阿部のミットがボールを追って動くことはやはり一度もない。
(オレもスピードもっとつけなきゃ)
 本音をいえば、投手をやるよりも三橋の後ろで守っていたい。どんなに強い球でも捕れるようになって楽をさせてやりたい。同じ控え投手だからこそ伝わってくるのか、花井もそう思っているのがわかる。
 ただ、逃げ出したいと思う反面、この立場を誰にも譲りたくないのも事実だ。
 三橋に何かあったときそれを助けられるのはこの野球部に自分と花井と2人しかいない。これは何よりも特別な権利のように思える。
(三橋のために投手をやるんだ。頑張ろう)


 オレらのエースは暗くて卑屈。勝つために、弱気なエースのために、行け、オレら!