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オンリーワンの君
「いー加減さっさと覚えろ!」
「ご、ごめ……」
ベンチから聞こえてくる阿部の怒鳴り声を聞きながら、花井は肩をすくめた。
「あーあー、アイツラまたやってる」
視線の先には、地面を指差して何事か怒鳴る阿部とうなだれてそれを聞く三橋の姿。
イラついた阿部としょんぼりした三橋の姿は、この部ではよく見られる光景だ。
(アイツラ全然あきねーのな)
「栄口行くか?」
フォローに行くべきか?行かなくても平気か?
花井でなくとも、その辺を見極めるのはかなり難しい。声掛けのタイミングを誤ってその場の空気が一気に冷えてしまい、結果としてうまくまとめられないこともよくあった。
できれば栄口が行ってくれるとありがたいと思っていた花井だったが、傍らに立つ栄口は涼しい顔をしていた。
「行かなくていいんじゃない?あの様子なら」
「マジで?三橋泣いてね?」
「もうしばらくしたら落ち着くって。さ、今のうちにこっち片付けよーよ」
(ホ、ホントにいーのか?)
促されてとりあえずはベンチから離れるが、後ろ髪引かれる思い(後ろ髪なんてないが)でついつい振り返ってしまう。
「もう少し意思の疎通が上手くできればなー、あいつらも」
(オレだって三橋と話すのは一苦労だ。阿部のことはあんまイエネェけど)
「まぁね、それは確かに」
花井の言葉を一度肯定しておいて、栄口は「でも」と切り出した。
「でもさ、阿部が怒んなくなって静かになったら、多分ウチの部も終わるよ」
妙に確信めいた栄口の言葉に、花井は何か引っかかるものを感じる。
「どーいう意味だ?」
「阿部が三橋に対して怒るのは、三橋がまだ伸びるって証拠だからだよ」
表情を変えずに言い切った栄口には、それなりに何か理由があるようだった。
「イライラすんのって、実はかなり体力使うなーって、花井も思うだろ?」
「思う思う。怒鳴るってのもけっこう疲れっし」
毎日毎日9組メンバーに振り回されている花井にとっては、栄口の言葉は非常によくわかった。
何度止めても服を脱ぎたがる田島を筆頭として、9組の連中はイタズラばかりしている。たまにそこに水谷が加わったり、沖や西広が加わったりと、野球部は傍から見ても騒がしくにぎやかこの上ない部活だった。
「阿部は阿部で、もうちょっと伝え方を学ぶべきだとはオレも思うけど」
そう前置きして栄口は続ける。
「それでも阿部がああやってイライラしつつも三橋と向き合ってるってコトは、阿部は三橋に求めるモノがあるってコトなんだよ。三橋ならついて来てくれると阿部も思ってるし、わかって欲しいから阿部もめげずに接してるってワケ」
「あー、なるほど?」
「多分三橋に対して何も期待しなくなったら、阿部はナンも言わなくなると思う」
口うるさいのは、成長する余地があるという証拠。過剰な期待は成長を阻害するが、あきらめてそこで止まってしまえば先へと進むことはきっとできない。
「三橋はオレらの要だよ。でも今のままじゃ足りない。花井だって今の自分に満足してるワケじゃないだろ?」
「当たり前だ。オレはもっと伸びる」
「そう、その“前に進むぞ!”って気持ちがオレらには必要なの」
自分の力だけで成長していくことは不可能ではないが、時間は無限ではない。与えられた時間を無駄にせず効率よく成長していくには、客観的に自分を見て指摘してくれる他人という存在が必要不可欠なのだ。
「だってなんだかんだ三橋を客観的に見てるのって阿部なんだよなー。オレらってピッチャーのことはよくわかんねーじゃん?」
(アノ2人に対して、そんな見方もあるのか……)
花井は本格的なピッチングを高校に入ってから始めた。自分以上に長く投手をやっている三橋に対して、アドバイスできるようなことはないに等しい。
(カントクは結局全員を見てるからなぁ。だから阿部が三橋を見てんのか)
やはり三橋のことは阿部に任せておくのが一番良いのかもしれない。それでもやはり少し気になって、花井は離れていくベンチを振り返った。
「ホラ、も-一回説明すっから。今度はちゃんと聞ィとけよ」
「う、うんっ!オレ、ちゃん、と聞く、よっ」
先ほどまでに比べると少し優しく、阿部は地面に書いた図を指して何事か説明し始める。おそらく次の試合の打者の研究をしているのだろう。
ベンチに残してきたバッテリーは、先ほどに比べると少し柔らかい空気をまとっているように見えた。
「ほら、何とかなった」
(ま、何とかなる前に、三橋は軽く泣いてたけどな……)
でも確かに、花井が間に割って入っていたら阿部と三橋の対話はそこで切れ、阿部はイライラしたまま&三橋は打ちひしがれたまま帰途に着いていたに違いない。
「オレ最近全部栄口に任せてっから知らねーけど、ここんとこの阿部と三橋っていつもあんな感じ?」
主将の花井は部の顔となって動く、対外的な仕事の方が忙しい。副主将の片割れである阿部は、どちらかというと監督や志賀と共に練習のメニューなどを考えていることの方が多かった。従って、部員の様子を細かく見るのはもう一人の副主将栄口の肩にほとんどがかかっていた。
「最近かー、亀みたいだけど、一応変わってきてんじゃない?最初の頃と比べて阿部には歩み寄りが見えるし、三橋は三橋でついてこうってカンジに見える」
(コイツ、ほんとに高1か?)
花井は驚きの気持ちで栄口を見る。
「栄口には苦労かけっけど、もうしばらく頼むわ」
阿部と三橋のことも含めて、部員のことは栄口に任せておけば心配はなさそうだ。
何の疑いもなく無条件にそんな風に思ってしまうくらい、栄口は周囲のことも良く見えているし、高1にしては不思議な落ち着きを持っているしで、信頼も厚かった。
ああ、栄口がいてくれて良かったなぁ。
栄口という存在に救われた気分になっていたら、栄口がため息をついた。
「また遊んでるよ……」
何事かと栄口の視線の先を辿る。見やった先では残りの部員たちが上半身裸で、グラウンド脇に備え付けてある水道のホースから水を浴びているところだった。
「オーイ、まだ着替えてねーのかよ。さっさと帰るぞ」
「おー花井、気持ちーぞ!」
「今日は暑かったからなー、オマエラもどうだ?」
「ワリ、オレもー着替えたから」
「栄口はー?」
「オレも着替えてるし、遠慮しとくよ」
「2人ともツレねーなー」
「いいじゃん、ノリ良くいこーぜ!」
「遠慮しとくっつったろ!……オイ、何ホースこっち向けてんだ!」
バシャっ!
「………」
「……オレらは着替えたってさっき言ったろ!」
静止する間も避ける間もなく、花井と栄口もあっという間にヌレネズミの仲間入りを果たした。
「風邪ひいたらどーしてくれんだ!」
「練習着あるじゃん」
「ンな汗まみれ、着られるか!」
「あー言えばこー言う。花井のワガママー」
「………」
(……ンだこれ、オレってわがまま?)
よくわからなくなってしまって黙り込む花井。同様に栄口もさっきから黙ったままだ。
「……いたずらも、度を越すと全然楽しくないんだけど?」
にっこり笑った栄口の目が顔に比べて全然笑っていないように見えて、花井は栄口をまじまじと眺めた。
なんとなく寒気を感じるのは、もしかしたら早々に風邪をひいてしまったのかもしれない。
(栄口コエー)
普段怒らない人間が怒ったときほど恐ろしいものはないと、聞いたことは何度もある。だがその様子を現実に見るのは初めてだ。
「ゴ、ゴメンなさい……」
「……すいませんでした」
「なんか言った?」
(栄口、マジでコエー)
「オレと花井、明日は風邪ひいて朝練来れないかもだから。ちゃんとカントクには言っておいて?」
「だ、大丈夫!2人の体が冷えないように肉まんおごるから!」
「カップラーメンでもいいぞ!」
「つか、何でもいいから言ってくれ!」
「そう、ありがとう。だってさ花井、やったな」
「………」
びしょ濡れの代わりに肉まん。喜ぶべきなのか遠慮するべきなのか、花井としては大いに迷うところだった。
(栄口はウチで最強だな!)
やはり栄口にすべてを任せておけば、問題は何もなさそうだ。
副主将に栄口を選んで正解だった。花井は今日、いろんな意味で心からそう思った。
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