ピンク色に思いを込めて




(あれ、ホースがない)
 用を足して戻ってきたら、後で片付けるつもりで置いていた水まき用のホースがなくなっていた。ホースはグラウンドの端まで水が届くだけの長さがある分、巻き取ってもかさばって、それなりに重い。
 ホースくらい自分で運べるけど、面倒なのでたまに後回しにしてしまう日がある。そして今日はそれが裏目に出た。
(誰だろ、カントクが片付けてくれたのかも……)
 部員たちはまだアップをしている最中だし、彼らは(たまにかち合えば重いジャグを運んでくれることはあるが)そこまで気が回りはしない。志賀はまだ数学準備室にいるはずだ。ホースを片付けてくれたのはおそらくは監督だと思われる。
「………」
(ありがたいなぁ)
 ホースが重たいのは確かなので、そこは素直に感謝する。でも。
(申し訳なかったなぁ)
 グラウンドの水まきはマネージャーたる自分の仕事。そうなれば、水をまいたあとのホースを片付けるのだって、マネージャーの仕事に違いない。ホースが多少重くても、女子の力で運べない代物では決してないのだから、やはりホースの片付けはマネージャーの仕事に間違いなかった。
 誰かが何かを手伝ってくれたら嬉しい。特にマネージャーは孤独な作業も多くて、たまに寂しいこともある。だからなおさら、誰かがさりげない優しさを見せてくれたらそれだけでとても嬉しい。
「………」
 それなのに今日に限って心は沈む。人の優しさがいつもなら嬉しいことのはずなのに、今回はそれがどっしりと心に居座ってしばらく離れてくれそうにない。
「ま、いいや。ご飯行こう」
 気持ちを切り替えて数学準備室へ向かう。
 その日1回目の飲み物を準備したら、続いてオニギリの準備に取りかかる。一度に11合のお米を炊くわけだから、研いで運ぶだけでも一苦労。おまけに上の空で米を数えていると10合入れたかそれとも12合入れたかわからなくなって、下手するともう一度数えなおしになってしまうから、なおさら気は抜けない。
「よしっ」
 気合と一緒に米に立ち向かう。一心に米を研ぎながらも、ふと目に入るのは自分の手。その辺の女子高生と比べてかなり日に焼けた腕は、まるで運動部のよう。
(そりゃ確かに運動部ではあるんだけど……。でも別に走ってるわけでもないのに、もう真っ黒)
 部活のほとんどをグラウンドで過ごす部員たちと違って、マネージャーは屋内やベンチで作業している時間も多い。ただ毎日必ず何十分かを陽の下で過ごしていることには変わりないので、肌が回復して白くなる暇がない。
 一応練習の合間をみて定期的に日焼け止めを塗りなおしてはいるものの、日に焼けていくのはどうしても止められない。
(屋内の部活、いーなぁ)
 体育館は体育館で蒸し暑く、それに比べると多少でも風が吹く屋外の方が楽だと思う。でもいくら蒸し暑くても、日に焼ける心配がないのはとても魅力的だ。
「日に焼けるの嫌じゃないけど、ちょっと焼けすぎだよねー」
 真っ白よりは多少黒い方が健康的だ。でもテレビで見る華やかな女性たちは皆色が白くて、やっぱり白い肌にあこがれてしまう気持ちもある。
 ため息を一つついたところに、志賀がプリントの束を持って姿を現した。
「篠岡、米終わったらこれ頼める?」
「大丈夫です。そうだ、粉あと1週間くらいでなくなりそーです」
「わかった、今週の間には買っておくよ」
「お願いします」
 炊飯器をセットし、志賀からの頼まれ物を持ってグラウンドへ向かう。フェンス脇に自転車を止めてグラウンドへ入る。選手や監督はもう練習に入っていた。
 初夏の頃、グラウンドのフェンス脇に、あまり背の高くない濃いピンクの花が咲いていた。ちょうどベンチ側とは反対の位置だったし、小さな花に気を留める人間は誰もいなかった。もしかすると花が咲いていることすら気づいていなかったかもしれない。
 どこかで見たことがあるような気もしていたが、種ができる秋になってようやくその名が判明した。
 “おしろいばな”と呼ばれるその花の種子をつぶして遊んだ記憶がある。母親のする化粧に興味を持った幼い頃、その種を取ってきては白い粉をたくさん集めたものだった。
 フェンスに近寄って黒い種を一つ採集する。つぶしてみると、昔と変わらない白い粉が採れる。
(コレ塗ったらちょっとは白くなってくれるかな……)
「………。あー、我ながらしょーもないこと考えた!」
 手を払うと、白い粉はあっけなくパラパラと下に落ちていった。
「千代ちゃーん、こっちお願いー」
「はーい!今行きますー!」
(できることは、やっぱりできるだけやろう)
 マネージャーになったとき、できることはなんでもやろうと、確かにそう思っていた。
 でもだんだんと慣れてくると、どこで手を抜けるのかが少しずつわかってくる。その時点でやっておいた方が良いことでも、後回しにしても大丈夫なのがわかってくるから、そのまま後回しにしてしまう。
 そして用事を一つ片付けた後に戻ってくると、先ほど“後回しに”と考えたことが他の誰かの手によって片付けられていたりする。
 そしてそのたびに、“やっとけばよかった”と思う。特に最近はそう思うことが増えてきたような気がする。
(白い粉なんていらない)
 透き通るような白い肌は手に入らなくても、それより大事なものがある。
(初心に帰らなくちゃ。もっと上に行きたいもの)
 マネージャーになったばかりで何もできなかった頃のことを考えれば、今の自分にできることはたくさん増えている。
 手を抜いてる暇なんてない。
「しのーかー!」
(皆いつだって全力投球。あたしも胸張ってそこに混ざりたい)
「今行くー!」
 もう一度勢いよく手を払うと、おしろいばなの粉はすべて地面に散っていった。


(白い粉なんていらない)