6月からの贈り物




 他の部員よりも早めに靴を履き替えた花井が一足先に昇降口を出る。
「おー、けっこう降ってンな」
「どれどれ?」
「え、そんなに?」
 残りも先を争うように昇降口をくぐっていく。聴こえる雨足はかなり強い。
「スゲ、いつの間にか本降りだな」
「オレ傘持ってきてねーよ」
「バッカでー。今日は降水確率90パーって朝天気予報言ってたぞ」
「朝そんなの見る時間なんかねーってば」
「夜見とけ夜!」
 ぬかるんだグラウンドでの練習を避け、校内でトレーニングを終えて今日は早めの帰宅となった。
 昼休みを迎えたくらいから雲行きは少しずつ怪しくなり、掃除が終わるころには土砂降りに近いほどの天気になっていた。朝はあきれるほど良い天気だったせいもあってか傘を持ってきていない生徒も多く、放課後になると同時に校門前には迎えの車が何台も並んでいた。
(もうちょっと降り始めが遅ければなぁ)
 少しだけでも野球ができたかもしれないのにと思うと残念でならない。シニア時代よりも多い練習量にも、やっと体が慣れてきたのかそうつらくもなくなった。
(や、キツイことはキツイんだけど)
 あいにくの天気はすでに数日続いている。今日は朝が良い天気だったのでなんとか野球ができるかもしれないと思ってしまった分、できなかったことについての落胆が皆大きいようだ。
(オレもキャッチボールくらいしたかったよ)
 部員の現在の関心は今日どうやって帰るかということなのだが、自分としては野球のできないこの欲求不満を晴らすことの方が重要に思える。
「オレ迎え頼んでみようかなー」
「オレもだめもとで電話してみっかなー」
 家族に迎えを頼むか、昇降口の傘立てに申し訳程度に入っている穴あきの、すでに誰のものかわからない埃をかぶった傘を借りて帰るか。あるいは最終手段、全身ヌレネズミになって帰るか。
(さて、オレはどうするか……)
 スポーツバッグの中には折り畳み傘が入っている。傘を差して駅まで歩けばいいが、明日のことを考えると正直自転車を置いて帰るのはつらい。
 傘差し運転で禁止されているが、学校を少し離れたらほとんどの人間が自転車に乗って傘を開く。
「………」
 見上げてみても雨がやむ気配はなさそうだ。
「どした、栄口?お前どうやって帰る?」
 靴を履くかっこうのまましゃがみこんで動かない姿を不審に思ったか、巣山がガラスの向こうから声を張り上げる。
「んー、オレ折りたたみ持ってんだけどさ」
「さっすが用意いいな栄口」
「でもこのまま帰ろーかと思ってさ」
「このまま帰るって?」
「え、栄口歩き?車乗ってかない?」
「おお水谷。家と連絡ついたか?」
「うん、まだ時間かかるけど迎えきてくれるってさ」
 巣山の向こうからは水谷も顔をのぞかせる。
「ありがと。でもオレこのまま帰るよ」
「ええ、何で。乗ってきなよ」
「や、オレ実は雨って結構好きなんだよ」
「えー、ヤキューできねーじゃんか」
 田島らしい物言いに口元がほころぶ。そんな大きな声で会話していたつもりもないが、離れているのに聞こえるその聴力にも驚く。
 自分としても、屋外スポーツをする人間にしては珍しい考え方だろうとわかっているから今まで雨のことを好ましいと思っても、その気持ちをことさら公言することはなかった。第一自分でも、なぜ雨が好きかと考えてみても理由が見つからない。何となくとしか答えようもないし、練習を嫌がっているのだと思われるのは釈然としない。
(オレもなんで雨好きなのかはよくわからないし)
「野球できないのは嫌だけどさ」
「雨降ってっとジメジメすんじゃん」
「オレんちも雨降るとハハオヤの機嫌が悪くなんだよ」
「あーわかる!洗濯物がかわかねーからだろ?オレんちも一緒だー」
「湿気くらいは仕方ないよ。だってここ日本だし」
「えー、雨が好きなんて栄口変わってるな」
「そうか?世の中雨が好きな人間だっていると思うよ」
(少ないだろうけど)
 こっそり心の中で付け加えておく。
(やっぱり理解されづらいか)
 雨が好きだなんて、やはり言うべきではなかったかと少し後悔する。口から出た言葉はもう取り返しもつかないが、これからはその気持ちは胸の中にしまっておくことにしよう。
「………」
「どうかした?水谷」
 水谷が何か言いたそうにしているように見える。
(雨が好き発言を聞いて、野球部として失格だとか思われたかな)
 ますます“雨が好き”発言をしたことを後悔する。決して野球が嫌いだとか練習が面倒だと思っているわけではないのに。
「や、オレ思い出したことがあんだけど」
「何を?」
「なあ、栄口って6月生まれだったよな?」
「そう、6月」
 三橋のときほど盛大に誕生日会をするには金銭的にも時間的にも余裕はないが、誕生日の日にはおにぎりの具が豪勢になったり、帰りには部員からジュースをおごってもらったりする。先日6月8日の誕生日を終えたばかりだ。
「あれじゃない?生まれたときの記憶ってやつ」
「何だソレ」
「生まれたときの記憶?」
 てんでバラバラに傘をさがしまわっていた部員たちは結局目当てのものを探せずに、いつの間にかほとんど全員が周囲に集まってきていた。
「人間って、生まれたときの状態に近いのが好きなんだってさ!生まれたとき暑い日なら暑い日が好きだし、寒ければ寒い日が好きってやつ」
「じゃあ栄口生まれた日は雨降ってたんじゃないかってことか?」
「そう、そーいうこと。栄口どーだったの?」
「さぁ、オレ生まれたときに雨降ってたかなんて親にも聞いたことないや」
「でも6月って梅雨なんだから、降ってたっておかしくないよなー」
「うん、おかしくない」
「そっか、だから栄口雨が好きなんだな!」
「お、おう……」
 満面の笑みでそう断言されるとそうなのかと信じてしまいそうになる。
(そうか、だからオレ雨が好きなんだ?)
 生まれたときに雨が降っていたかなんて自分でも知らないけど、皆がそういうのならそうなのかもしれない。
「オレらの生まれた年は珍しく雪積もってたらしいから、オレも雪好きなんだ。新年早々、初雪と一緒に生まれたんだよ、オレ」
「へー、だからお前はおめでたい人間に育ったんだな」
「阿部ヒドッ」
(よし)
「水谷、オレやっぱこのまま濡れて帰るわ」
 宣言して肩に担いでいたスポーツカバンをおろし、荷物を確認する。
「この傘誰か使っていーよ、オレいらないから」
「………。って、栄口何してんの?」
「荷物の整理」
 カバンには明日の予習分の教科書とノートが入っている。できれば本が濡れるだけは避けたい。幸いにして着替えやタオルを多く持っているので、濡れて欲しくないものは可能な限り包んでしまう。
「カバン濡れたら乾かすの大変じゃないか?」
「でも傘あっても、こんだけカバンでかけりゃ濡れるもんは濡れるし。今日早いし乾かすくらいできる。たまにはいいよ。じゃ、お先に」
 覚悟を決めて天然シャワーの下へ。
「あ、待って栄口、オレも一緒に帰る!」
 歩みだそうとした瞬間カバンを引っ張られる。
「お前おばさん呼んだんだろ?」
「大丈夫、多分まだ出てないから。たまには雨も気持ちよさそーだし」
 早口にまくし立てると、水谷は声をかける暇すらなく家に電話をかけてしまった。
「さ、栄口帰ろう」
「お前物好き」
「栄口ほどじゃないよ」
 水溜りを避けて踏み出した一歩は、すぐには水が染みてくることもない。思っていたよりも雨は冷たくなく、トレーニング後のほてった体にはちょうど良いくらいだ。後ろを振り向けば、他のメンバーはまだ少し驚いた顔をしている。
「じゃな、お疲れ」
 雨の下で軽く手を上げると、やっと他の部員も声を出す。
『お疲れー』
『気をつけてな』
「水谷風邪ひくなよ」
「ひかないよ!」



「そういえばさー、オレ今日の服お気にだったんだけど」
「じゃあ練習着に着替えて帰れば良かったのに。っていうか、オレ一緒に雨に濡れて帰ろうなんて誘った覚えはないんだけど」
「まーいいじゃん。小学校の頃は傘たたんで帰ったりしなかった?」
「ああ、したした。わざと水溜り踏んで帰ったり」
「栄口はそれで風邪ひいてたんじゃない?」
「失礼な!どっちかっていうと、水谷の方が風邪ひきやすそうだよ」
「栄口までそういうこというわけ?こう見えてオレ健康優良児だもんね!」
「ホントか?」
「ホントだってば!」



 後に何も予定がない日は、こんな風に雨に濡れるのも楽しい。
 雨が好きだと思っても、別におかしなことでもなんでもない。
 心の奥底に沈んだ生まれたときの記憶を感じながらこうして友人と並んで帰る。
 野球がしたい。トレーニングなんかじゃなく、思いっきりボールを追いかけたい。
 でも毎年変わらずに降る雨は、もしかしたら誕生日プレゼント。
(だってオレの生まれた月なんだし!)
 1年のうちこの時期だけは、雨が降ってもどうか許して欲しい。