背中を追って





 信頼されるということはどういうことだろう。
 受け取る側が重いと感じてしまえばそれは何の意味もない感情のベクトルで。ただ無条件に向けられる信頼は、時として自分の中に眠った勇気を奮い立たせる起爆剤にもなる。
 清音がはじめの教育係を任されるより前、その清音が一人前と認められるまでは丈が清音の教育係をしていた。清音から向けられる絶大な信頼を、丈はいつも背中に感じて戦っていた。メスに対する実行部隊の相棒として過ごした五年もの長い年月が、そのいっそ盲目的とも取れる信頼関係を厚くさせたのだということはきっと誰にでもわかることだろう。

 ところが二人の始まりは、清音がガッチャマンとなって丈の前に姿を現すよりもさらに昔のこと。
 清音どころか丈がガッチャマンになったばかりだから、今から十年近くは前のことになるだろうか。幼い清音がメスに取り込まれかけたとき、その清音を助けたのが丈だった。負ぶった体はまだ子どものそれで細く小さく、肩にすがる手は震えて頼りなかった。
 助け出された人間は、等しく全員が襲われた記憶を消去され普通の生活に戻されることになっている。今はガッチャマンの一員となっている清音とて、それは例外ではない。この当時の清音は幼い庇護の必要な子どもであったからそれはなおさらだ。つまり丈と清音の関係は、そこで途切れてしかるべきはずだった。
 ところが清音は、襲われた記憶をなぜかそのままに保っていた。




 幾度処置を施しても消えない子どもの記憶に、やがては医療チームも匙を投げ始めた。記憶はそのままに、心のケアをしっかりとしていくことに方針が転換されたと、丈はパイマンから以前助けた子どものその後を聞かされた。
 その話を聞いて一週間ほどした頃だろうか。その子どもが丈の前に姿を現した。
 丈の顔を見て驚き、続いてほっとした表情を見せたものだから、つい丈は声をかけてしまったのだ。それが良かったのか悪かったのか、丈は今でもその判断をつけることができないでいる。
「お前の記憶、なんで消せねーんだろうな?」
「………」
 メスとの遭遇から取り込まれかけたことまで含めて、その恐怖すべてを忘れてしまいたい気持ちはその子どもにもあるらしい。ただ最先端の宇宙科学をもってしてもなぜかその記憶を消すことはできず、検査をいくら受けても要因すら見つからない。
 残ったままの記憶を思い出しては不安になるのだろう。消せない記憶を持ち、子どもは基地の周囲をうろつくようになった。来るなと何度言ってもその子どもは丈の前にたびたび姿を現す。
 丈のそばにいれば安心だと思いたい気持ちはよくわかる。助けられたという記憶は色濃く残る。ただ正直言って、そこまで面倒を見るのは丈の管轄ではなかった。丈に与えられたガッチャマンとしての役目は、あくまでも地球の平和を守ることであって、決してたった一人のために時間を割くことではない。
 当時ガッチャマンになってまだそう間もなく、学生生活との兼ね合いもあった。積極的に子どもの面倒を見たくはなかった。そういうのは丈よりもO・Dの方がよほど向いている。それなのに子どもはまっすぐに丈のところへやってくる。ノートを持たない部外者は基地へ入ることはできないから、エレベーターのそばに座りこんで子どもは丈を待っていた。
「お前、また来たのかよ」
「ご、ごめんなさい……」
 丈の顔を見ると安心するのか、ほっとした表情を見せると満足してだいたいはそのまま帰っていく。ただパイマンやO・Dによると、丈の姿を見ないといつまでも待っていることもあったらしい。
 仕方なく丈は基地へ行く時間をずらし、その子どもの相手をするようになった。どうせならメスに狙われた理由を探ってみたいという気持ちもあった。日々世界のあちこちで人々が行方不明になり、中にはそのまま戻ってこない人もいる。その現象を少しでも止めたいと思うくらいには、丈は世界の平和を願っていた。
 子どもが好きなのはおもちゃと甘いもの。しかし一緒になって外でシャボン玉を吹いたり公園で遊んだりするなんて絶対に御免こうむる。そんな自分の姿を想像することすらできなかった。
 そこで丈は評判のケーキ屋へその子どもを連れていくことにした。鮮やかなフルーツの乗ったタルトを子どもは嬉しそうに頬張った。丈と子どもの間に会話はほとんどなかった。丈のそばにいれば危険なことはないとわかっているからそのそばにいたがるものの、丈の性格自体をその子どもは怖がっていた。
 怖がっていながらも丈以外に頼るものがないその子どものことを、丈は少しだけ不憫だと思った。ただ繰り返すが、そこまで面倒をみるのは丈の役目ではなかった。専門的な医療の知識を持ったスタッフがこの子どものそばにいるはずだったから。
「お前、学校は?」
「………」
「どこに住んでる?」
「………」
 何を聞いても答えないその子どもと、それからも丈は何度かタルトを食べた。一度だけ「すっぱい」と残したグレープフルーツのタルトを半分ほど食べてやったこともある。 「お前、俺の周りをうろついてたら、いつまでたっても忘れられないぞ」
「………」
「早く忘れて普通の生活に戻れよ」
「………」
 やがて丈のぶっきらぼうな態度に慣れたのか、その子どもは丈に対して少しずつ笑顔を見せるようになった。それに伴って、丈は自分の態度も徐々に柔らかくなっていくのを感じていた。何を話すでもないその空気は、不思議と悪くはなかった。
 ただ相変わらずその子どもがメスに狙われた理由はわからなかった。パイマンに手を回して手に入れた個人情報もそれなりに調べてみたが、特におかしなところはなさそうだった。
 笑顔を見せるようになるのと同時に、子どもはたまに丈の質問に答え、ときどきは会話が成り立つようにもなっていく。その変化を良いことだと、丈は嬉しく思った。このまま明るくなって、丈以外の人間との会話にも慣れ、襲われた恐怖の記憶におびえることなく元の生活に戻ることができたら。そばをまとわりつくこの幼子のことを、丈はいつしかいつでも心の片隅に置くようになっていた。早く、明るい本来のままに笑ってくれたらと願う日々。

 ところがそんな生活が数ヶ月続いたある日、子どもは丈に何も告げることなく姿を消してしまった。家族の元へ帰ったのだと、パイマンとO・Dが話しているのをちらりと聞いた。
「ようやくお役ごめんか……」
 エレベーターのそばで丈を待つ姿はない。丈を見つけてはほっとしていた顔も、嬉しそうに笑った顔を見ることもない。その子どもがいつもいた場所を、風に吹かれた木の葉が通り抜けていく。
 それから数年がたつと、丈がその子どものことを思い出す回数は極端に減っていた。子どもの成長は早い。街ですれ違っても、もう丈からはその子どもを認識することはできないだろう。仮に街ですれ違っても、子どもの方から声をかけてくることもきっとない。恐怖の記憶をわざわざ自分で呼び起こそうとすることはないだろうから。
 子どもは元の生活に戻り、丈と会うことも二度とない。――そう思っていた。
「丈、聞いてると思うが今日から新人が来るから、教育係を頼むぞ」
「はいはーい」
 人手不足が長らく続いていたが、ようやくJ・Jのお眼鏡に叶う人材が見つかったのだろう。面倒なのはその教育係に自分が任命されてしまったこと。とはえいそれ自体は順番で受け継がれていくものだから仕方がないことではあるけれど。
 基地にはすでにパイマンもO・Dも揃っていたが、エレベーターが稼働し、誰かが下へ降りてくる気配があった。
「お、来たみたいだぞ」
 やがて開いた扉の向こうに、体の割に大きな刀を携えた子どもが姿を現した。
「………」
 何事にも動じずいつも飄々としていると称される丈でも、このときばかりはさすがに驚かないではいられなかった。あんぐりと開けた口から、まだ火をつけていなかった煙草が落ちていく。子どもは緊張した面持ちでエレベーターを降り、きょろきょろと周囲を見渡しながらも真っ直ぐに丈の元へとやってくる。
「お前な……」
「今日からよろしくお願いします、俺、橘清音です!」
 生真面目に頭を下げたその子どもは、しばらく見ない間にずいぶんと背が伸びていた。
「……忘れろって言っただろ」
「俺、あなたに助けてもらったこと、やっぱり忘れられませんでした」
 以前よりも少し近づいた目線を丈と合わせて、子どもは照れくさそうに笑った。メスに取り込まれかけたことなど早く忘れて、怯えることなく普通の生活を送れるようになればいいと思っていた。早く忘れさせてやりたかった。姿を見せなくなってからは、きっと平穏無事な生活を送っていると思っていたのに、どうしてこの子どもは今この基地にいるのだろう。
 この子どもにガッチャマンの素質を見出したJ・Jのことを、少しだけ恨めしいと思った。
「俺、しっかりやります!」
 その言葉には何も答えず、丈は手を伸ばしてその額を軽く二度ほど小突いた。その行く末をほんのり気にかけ密かに幸せを願っていた存在とと思わぬところで再開してしまった嬉しさと、こんなはずではなかったのにと残念に思う気持ちがないまぜになっている。
 その子どもの瞳は、丈がメスから助け出したときのような、すがりつくものを必死で探すあの不安を湛えてはいない。力強く希望にあふれている。
 あの頼りない子どもが支えを必要とせず、一人で決めた道を歩けるようになっている。そのことを丈は嬉しくも寂しくも感じた。
「ま、がんばりな」
「は、はいっ頑張ります!」


 その日からずっと、丈の背中にはその子どもの視線がいつでもあった。否、子どもはいつの間にか成長し、今ではもう大人への一歩を踏み出しかけている。丈の手から離れて一人で戦い、今では新人の教育係を任されるほどに大きくなった。
 清音と丈が別々に、あるいは背中を合わせて戦うようになってからも、丈は自分のすぐ後ろから注がれる信頼の瞳を常に感じて戦ってきた。清音からの信頼を、何よりも裏切りたくなかった。
「俺に任せろ」
 ――だから、敵がどれほど強大であったとしても負けはしない。



------------------------------------------------------------------------------------------
   7話を見て一気に妄想が膨らみました。そして思うまま、一気に書いてしまいました。
   丈さんと清音くんの過去の出会いと思われるシーンです。
   清音がメスに取り込まれかけた……と仮定して、また清音が小さかったようにも思えたので、
   出会いはだいたい十年くらい前ではないかと妄想。



TOPCROWDS