手をつないで




 この歳になって手をつなぐのは実はとても恥ずかしい。

「集合、瞑想やるよー!」
 今日もモモカンの声がグラウンドに響く。
 コイツは何時に来てるんだ?ってやつもいれば、近いくせにぎりぎりの人間もいる。
(モモカンはなんで朝からあんなに元気なんだ?)
 誰にも見られないようにあくびをかみ殺しながらベンチ前に近づく。別に見られたって誰もが眠たいのだから、特にとがめられたりはしないだろうけど。
 いつものように円になる。その際前日と同じ人間と隣にならないように座るようになったのは、いつの頃からの癖だろうか。
 毎日違う人間の隣に座っていると次第にわかることもある。いつも手の暖かいタイプや、次第に暖かくなるタイプ。さらにはその日の調子までなんとなく予想がつくこともある。
 お天道様がやっと顔を出して明るく照らすグラウンドで、至極真面目な顔つきの野球部員たち。
 ふと冷静になってみると、とてもおかしい。
(どっかの宗教みてぇ)
 手をつないだり円になったり目をつぶってみたり。
 神様へのお祈りか、もしくは宇宙人との交信か。何かしら電波が飛び交っていても不思議ではない。
 何も知らない人間は野球部のことを何と思うだろう。
 クラスでも「うまそう!」を毎日欠かさない9組メンバーは、その様子を外からみつめるクラスメートがどんな感想を自分たちに抱いているのかは知らないし、知ろうとしたこともない。
 他人からの評価なんて、それは特別知る必要もないことだ。全く気にならないわけではないが、一度でも知ってしまえばその評価に一喜一憂することになる。
 そんなのは面倒だ。


 野球をする人間ならきっと誰もが一度は行きたいと望むであろう場所がある。そこは海の孤島でも空の上に浮かぶ城でもないので、行くだけなら決して行けない場所ではない。
 行けない場所ではないけれど、実力の伴わない望みを語るのはとても気恥ずかしく感じるもので。
 実際にその場所を目指すとしても、真剣な人々は傍から見ると時に滑稽に思えることさえある。
(なんでそんなに頑張ってるんだろう?って思われちゃうんだよな)
 一緒になってその場所を目指し応援してくれる人々ももちろんのこといる。けれど、「適当に手を抜きつつ、ほどほどに楽しめばいいものを」という目で見られることも決して珍しいことではないのだ。
 雨の日の練習はどうしたって他の生徒の邪魔にもなるし、むしろそういった視線の方が多いともいえる。
 そこで開き直ってすべてを認めてしまってこちら側に来るか、それともその視線に萎縮してあちら側に戻るのか。
 そこが全ての分かれ目だ。


 うっすら目を開けてそれぞれの顔を眺める。
(コイツらホントに……)
 一部眠たそうな顔をしている奴もいるけど、皆集中している。間違ってもうっすら目をあけて他のメンバーの顔を盗み見ている人間はいやしない。
 部員10名・監督・先生・マネージャー。多いとはいえなくても、それでも13人もの人間が今この瞬間にこちら側にいることがまるで何かの奇跡のような気がしてくる。
 不思議だ。
(よくこんなに集まったよな)
 最初は試合ができるだけでもと思っていたはずなのに。
 もともと冷たくはなかった自分の手が、あっという間に熱を持っていくのがわかる。
(コレじゃリラックスにはなんねぇ)
 リラックスというよりは、きっと興奮しているといった方が正しい。
 でも今日くらいは良しとしよう。
 空は晴れて、雲もない。しばらく雨が続いていたけど、今日は絶好の野球日和になりそうだ。
「ハイ、止め」
 おまけに気分も良い。
「さあ、アップ開始!」
『おおっ!!』
 いつもより大きい声が出た気がした。その勢いのまま走る。
「泉ィ」
「ん?」
「嬉しそーだな、いーことでもあったか?」
(………)
“いーこと”は別にない。特別な出来事があったわけではない。
 ただ、再確認しただけだ。野球部が何の不思議も気負いもなくこちら側にいることを。
「ん〜」
 でも今の気分としてはその理由を教えたくない。
 瞑想中に皆の顔を見ていたなんて。そしてその姿に嬉しくなってしまったなんて。
 もったいないので誰にも教えてやらない。変わりにここは一つ笑ってやろう。
「まあな!」


 モモカンは最初に言っていた。
『野球をホントに楽しめるのはホンキで勝とうとする人間だけよ』
 モモカンの言葉は真実だけど、それが全てだとは思わない。
 体力作りや仲良しこよしの友達とお遊びで野球をするならその言葉は重過ぎるし、そういった野球が間違っているとも思えない。
 でもこの部活は違う。モモカンの言葉を真剣に受け止められるチームだ。
 誰に恥じることはない。まわりでそんな視線を投げかけてくるやつらなんて、逆にこちらに引き込んでしまえばいい。
 そして学校中をも巻き込んであの場所を目指せばいい。