まずは手元から





 それは、「花火がしたいわね」と言い出した海咲の希望を叶えるべく、船長が音頭を取った夜のこと。
 余った花火の束から手差し花火を数本取り分け、夏樹が自分の荷物に紛れ込ませたことにユキはちゃんと気づいていた。ただその光景は楽しかった花火の余韻にすぐ飲み込まれ、覚えていたら明日にでもその理由を夏樹に尋ねてみようかとユキが考えたのは、もうすっかり寝支度を整えてベッドの上に寝転んでからだった。
 電気の消えた部屋でうとうとしかけた頃、タイミングよく枕元に置いていた携帯に夏樹からの着信が入る。
「……寝なくていいの?」
「すぐ終わるから」
 ランニングに費やす時間の分だけ、夏樹の朝はユキやハルよりも早い。そんなユキの心配もお構いなしに、夜じゃないとダメなんだと、夏樹は花火とライターと水の入った小さなバケツを持って上までやって来た。
「また花火?」
「そ。ちょっとな」
 ユキと向かい合うように数メートルの距離をあけて立ち、夏樹は手にした花火を見ているようにとユキに指し示す。
「一回しかやんねえからな」
 親しくなってからめっきりでなくなった懐かしい口癖とともに、夏樹がライターに火をつけた。花火の穂先からほとばしる光が、まぶしく夏樹の顔を照らす。
 ユキがひそかに考えている夏樹の真面目な顔ランキングの第一位は、たとえ誰に何と言われても釣りをしているとき以外にない。ぶっちぎりでトップをかっさらう。その次が台所に立っているとき。勉強しているときだってそこそこ真面目な顔をしていると思う。ただ授業中だと眉間にしわが寄っていることも多いので、手放しでカッコ良いとは言えないけれど。
 花火に照らされた夏樹の顔は、釣りをしているときと同じくらい真剣だった。そのせいで、ユキはついつい「見てろ」と言われた花火もそっちのけで夏樹の顔に見入ってしまう。
 実はユキが正面から堂々と夏樹の顔を見ることは、日常の中であまりない。釣りをしているときも登下校やバイトの行き帰りも、だいたいユキと夏樹は横並びになって隣を歩くことがほとんどだ。そうやっていつでも隣り合った位置にいられるほど近しいことを普段は嬉しいと思っていても、それはそれだ。こうして正面から真面目の顔を眺められる機会をむざむざと逃すことなんて、ユキにはできない。
「………」
 夏樹が掲げた花火の火はあっという間に消えてしまって、辺りにはすぐ暗闇が戻ってくる。
「読めたか?」
「ごめん、もう一回」
 まさか本人に見とれていて手元を見るどころじゃありませんでしたなんて、さすがに言えるはずもない。ユキはそうと悟られないように「アルファベットなのはわかったよ」と当てずっぽうを言ってみる。ところが「お、ちゃんと読めてるな」と夏樹が笑ったので、驚いたことにアルファベットというのはどうやら間違ってはいなかったらしい。次こそは顔じゃなくてちゃんと花火を見ていようと、ユキは夏樹の手元に視線を向ける。
「もう一回だけだぞ」
 新しい花火に火をつけて、夏樹がさっきよりもゆっくりと文字を描く。ところが今度は時間をかけたせいで、全部の文字を描き終える前に花火の火は消えてしまった。
「あーくっそ……」
 終わった花火をバケツに放り込み、新しい花火に伸ばした夏樹の手をユキは遮る。思わず緩みそうになる口元を手で押さえ、ユキはとっさに顔を隠してしゃがみこんだ。
「大丈夫、多分わかった」
「……そっか」
「……夏樹って、ときどきすごい大胆だよなって思う。なんだよその言葉のチョイス」
「やった張本人の俺が言うのもなんだけど、これけっこう恥ずい」
「やっぱり?」
 夏樹はときどきこうしてストレートにユキを驚かせる。考えていることのほとんどを自分の中で消化することに慣れ過ぎて、あまり表に出すことが得意ではないユキとはそこが大きく違う。でもこうしてことあるごとに気持ちを伝えてくれようとする夏樹の心がユキはとても嬉しい。
 ユキの顔がどれほど赤くなっても、この暗闇のおかげで夏樹には伝わらないかもしれない。でもこの心臓の音なら聞こえてしまってもおかしくはない。それくらい、ユキは今ドキドキしている。嬉しい。心の底から嬉しい。
「さすが海の男だな男気あふれてるよって言い直す。あ、これけなしてるんじゃなくてちゃんと誉めてるから」
「海の男って言い方もちょっと微妙だけどな……」
 夏樹が花火で描きたかった文字は、多分“I love you”だろう。yまでで途切れてしまったけれど、I love y……の次に来る文字を、ユキはoとu以外には知らない。
 いったいどこの気障男なんだと言ってしまいたい衝動をなんとか押しとどめ、それでも正直にやはり気障だなあと思う気持ちは止められない。しかもその気障なところが嫌いじゃないどころかむしろ嬉しいなんて思ってしまうのだから、自分だってたいがいだなという自覚がユキにはある。
「……ユキは?」
「は? 俺にもあんな恥ずかしい事しろっての?」
「いや、別に口で言ってくれていいんだけど……。ってか、恥ずかしいとか言うな。けっこうグッサリくるから」
「ご、ごめ……」
 使われていない花火がまだ一本残っているのを見て、ユキは腹をくくって手を伸ばした。
「一回しかやらないから――そもそも一本しか残ってないからもうやろうと思ってもできないけど」
 わざと夏樹の言葉を真似て自分の恥ずかしさを紛らわせ、ユキは夏樹からライターを受け取った。
「ちゃんと見ててよ」
「おう」
 夏樹が描いてくれた文字は一瞬で闇に消えてしまったけれど、その光の残像はまだユキの脳裏にまぶしく焼き付いている。その真剣な顔つきと一緒に、きっとしばらくは消えないだろう。目を閉じるたび、瞼の奥でキラキラと輝く言葉。
 だからこれからユキの描こうとしている文字が、言葉が、夏樹の中にも同じようにずっと留まったらいいなと思う。


“Me too”
 ――俺だって、大好きだよ!



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   時間軸は本編中です。初出は2013/8/10の夏コミにて、ペーパーを委託していただきました。



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