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砂浜のキャンパス
クリスマスの夜、夏樹は普段ならもうとっくに寝ている時間にランニングに出た。
シーキャンドルのイルミネーションは雑誌にも特集されるほど有名なデートスポットで、少なくともこれから先バレンタインまでその人通りが途切れることはない。おまけに今日がクリスマス当日ともなれば、昼間は満足に歩くことすらできない。
数時間前はあれほど美しくライトアップされていた島はすでに暗く、街灯以外に頼れる光はない。
「さっみ……」
縮こまる体を屈伸してほぐし、夏樹はヨットハーバーの方へ足を向ける。駐車場で折り返し、今度は橋を渡ってヘミングウェイへ向かうのがいつものランニングコースだ。寒さを訴える体も、橋を渡り終える頃にはあたたまっている。
そして弁天橋を渡る途中。ふと見下ろしたいつもの砂浜に、目に馴染んだ、それでもこんな夜の海には似つかわしくない姿があるのを見つけた。
「……ユキ?」
(こんな時間に起きてんのか。あいつも元気だな)
ざっと周囲を見渡しても、他に誰の姿が見えるわけでもない。ユキはひとりきりだった。なにをしているのかと目を凝らすと、ユキはほとんど届かない光の中で、手にした袋から小さいなにかを取り出しては砂の上に置いている。
声をかけるタイミングを見計らう夏樹の視線の先で、小さく光が灯った。ユキはその光に手をかざし、しゃがみこむ。遠目にだがその光がふたつになった、と思った瞬間、新しく生まれた方の光が早々に消えてしまった。
「ああもう……!」
ユキの声が風に乗って夏樹のところまで届く。
ユキがなにをしているのかを悟り、夏樹は携帯を取り出す。海咲につながる通話ボタンを押しかけて、今が深夜と呼ばれる時間帯であることを思い出す。メールにしよう。起きていれば返信が来るだろうし、なければ明日の朝に起きて読むだろう。幸い夏樹の欲しい物は、ヘミングウェイの裏手にある倉庫の中だ。倉庫はダイヤル式の南京錠がかかっているだけなので、わざわざ海咲に来てもらわなくても夏樹だけでも開けられる。当初の予定通りヘミングウェイを目指すことにした。
海咲からのメールで了承をもらい、そして数分後。夏樹が弁天橋に戻ってくると、ユキはまだ風と格闘していた。光をつけては風に消され、めげずにつけてはまた消える。
「風が強すぎる……!」
焦りと苛立ちを含んだユキの声が聞こえてきて、夏樹は欄干から身を乗り出した。
「おーい!ユキー!」
「は!?」
振り返ったユキに「今からそっち行くから!」と大きく手を振り、夏樹は海咲から借りたビニール袋を手に浜へ続く階段を駆けおりる。
「こ、来なくていい!」
ユキの叫び声が聞こえたが、夏樹は構わずユキの元へ走った。
「……寒くねえの」
「そりゃあ寒いけど……。ってか、なんで夏樹がここにいるんだよ」
近寄って始めてわかったが、ユキはすでに般若の形相をしていた。この顔も久しぶりだなと夏樹は思った。
「なんでだろうな」
「………」
「冗談だよ冗談。……走ってただけ。そしたらユキが見えたから」
「……いつから見てた?」
「通りがかったのは10分くらい前」
「っそんなに前!?」
夏樹は海咲に借りた袋から、プラスチック製のケースを取り出した。ユキの手の上に乗せてやると、ユキは「なんでわかったの」といかにも複雑そうな顔をしている。そして風よけと、夏樹の顔を代わる代わる見た。
夏樹が「わざわざヘミングウェイまで行って借りてきたんだぞ」と言うと、ユキはすべてを察したように笑った。
「ユキに今、必要なんじゃないかと思って。ユキはローソクしか持ってこなかったみたいだからな」
「……見ててすぐにわかった?」
「いや、最初はわかんなかったけど、火がすぐに消えるの見ててようやく気づいた。……このロウソク、ヘミングウェイで借りてきたんだろ?」
「そう。灯篭祭りのときにお店のまわりを飾ってたやつ。海咲さんに借りた」
ユキは夏樹の手から袋ごと風よけを引き取ると、砂に置いたロウソクにひとつひとつかぶせ始めた。
「……手伝うか?」
「なら火、つけてよ」
「わかった」
ユキの持っていたチャッカマンをもらい受け、ユキが風よけのケースをかぶせていく後を追ってロウソクに火をつけた。暗い砂浜に光が灯るたびに、置かれたロウソクの文字が浮かび上がってくる。最初は大文字のHで、次が小文字のa。そしてpが続いた。
「……ハッピーバースデー?」
「そう」
「普通にメリークリスマスかと思ってた。それか、夏に俺がやったみたいにI Love Youとかだったら嬉しいなって思ってたんだけど」
「言ってくれれば最初から手伝ったのに」
水くさいぞという思いを込めて、夏樹は欄干にもたれて下の浜辺を見た。少し離れたところから街灯の光が差し込むけれど、それでも浜辺は充分に暗い。その中で Happy Birthday の文字が揺れている。
「……夏樹を驚かせようと思ったんだよ。ちょっとしたサプライズ」
「寝てたらどうするつもりだったんだよ」
「そしたら写メしようと思ってた」
ユキはポケットからスマホを取り出し、浜辺の文字を写真に撮りはじめた。夏樹もユキの真似をして一枚だけ撮った。
「なんでサプライズなんて考えたんだ? ハッピーバースデーってなんで?」
「さあ、なんでだろ。……最初はただ、なにかを夏樹にあげたいと思っただけなんだ。モノはこれがあるから、モノじゃなくて、なにかしてあげられるようなこと」
夏樹とユキのスマホには数日前から新しいカバーがついている。同じメーカーでも一見してお揃いだとはわからないタイプのものを選んで、お互いにプレゼントした。それが付き合い始めて最初のイベントで交換するプレゼントになった。
「夏樹は俺の誕生日にきっとプレゼントくれるだろ? それは嬉しいけど、なんていうか、……こんなこと言っていいかわかんないけど、それはある意味あたり前で、予想できることだと思わない?」
「あー、……そりゃまあな」
ユキの誕生日は3月31日。夏樹がアメリカから帰国して誕生日を祝えるかはわからないとしても、プレゼントはその日までに届くように贈るだろう。もちろん日付が変わった瞬間におめでとうと伝える。それはごく普通の恋人なら、あたり前のように見られる光景だ。
「来年、夏樹の誕生日だってたぶん一緒。俺が夏樹にプレゼントをあげるなんてあたり前なんだ。もちろん夏樹は絶対に喜んでくれる。でもその前に、一度なにかをあげたかった」
「だから、キリストの誕生日にちなんで……じゃないけど。俺、夏樹に生まれてきてくれてありがとうって言いたくて。――大好きだって伝えたくて」
「……こんな日に祝ってもらえるとか、なんか俺、すっげー偉いひとになった気分」
そして夏樹は冗談めかした言葉に付け加えるように「ありがとう」と言った。
「ううん、俺がなにかやりたかっただけだから。……でも夏樹にドン引きされなくてよかった」
「するわけねーじゃん」
大切な人から与えられる気持ち。それを嬉しくないだなんて、思うはずがない。
生まれてからずっとここに住んできて、この砂浜でこんなに淡い光に心を奪われたことはなかった。それぞれの炎が揺らめいて、夏樹の心に入り込んでくる。じわりじわりと、その言葉の意味をかみしめさせる。
火を消しても蝋燭の熱はすぐには冷めない。吹きすさぶ風を避けるため、橋の下で身を寄せた。ユキはダウンコートにマフラーを巻いているが、そのそも夏樹はランニングのために出てきたせいで防寒とは程遠い服装をしている。叫びだしたいほど寒い夜の海も、ユキが手を伸ばせば届く距離にいるのは、悪くなかった。
夏樹が「まだクリスマスの夜は残ってるけどどうする?ロマンチックなことでもする?」と冗談めかして覆いかぶさると、ユキは真っ赤な顔で「聖なる夜にサイッテーだな夏樹!」と怒ったような冷ややかな目で下から夏樹を見た。
「嫌だって。つか、ここ外だし寒いし、いまだって人が通りがかったらどうすんだよ!」
「こんな時間に島の人間が起きてるわけないだろ。しかもわざわざ橋の下をのぞいたりしないって」
「夏樹があほ過ぎて、俺はもうなんだか悲しいよ……」
そんなやり取りがまた楽しくて嬉しくて幸せで、夏樹は思わず大きな声で笑った。
すると今度はユキがひどく可哀相なものを見る目つきで夏樹の肩を「離れろよ」と押すので、夏樹はしぶしぶユキの隣に寝転んだ。
「だってハッピーバースデーってことは、俺の誕生日のお祝いってことだろ?」
暗にプレゼントをねだると、ユキが「もーほんっとにしょうもない……」と呆れたように頭を横に振った。
天から降ってきた唇はなぜだかひどく秘密めいた味がして、こんなに寒い夜なのに不思議とあたたかかった。
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初出は2012/12/25です。
メリーツリタマスと題してUPしていたお話を改題&加筆修正しました。
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