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痛恨のミスは誰のもの?
「はー」
栄口が珍しくため息をつきながら部屋に戻ってきたので驚いた。
「どうした栄口」
そう聞くも、栄口はやけに難しい顔をしたまま、何でもないと首を振るのみ。そしてそのまま、無造作にたたんだ布団の脇に座り込みやけに鋭い目で辺りを見回すかと思いきや頭から布団をかぶって寝転び、しばらくたつとまた起き上がっては周りの様子を伺うという、なんとも不思議な行動を数度繰り返した。
ちょっと不気味だ。
何でもないといわれても、その様子を見る限り何もなかったとは思えない。栄口は普段から穏やかで、そう落ち込むようなタイプではないから余計気になる。
(?なんかあったかな?)
約10分前に部屋を出て行くまで様子に特に変わりはなかったはずだ。あったとすればその10分の間に違いない。
(どこに行ってたんだろ)
今は朝食後の自由時間。食べたものが胃でこなれるのを充分に待ってから練習が始まる。
食事作りは全員で行うが、食後の皿を洗いや机を拭くなどの片付けは交代制だ。今日の当番は栄口ではないから、台所に行っていた可能性は低い。
(トイレか?)
合宿所の便所は昔ながらの便所なので、夜ははっきりいって大変恐い。うっかり怪談話でも思い出そうものなら、手がニョッキリと出てきそうで大変恐い。
(何か落とした可能性はあるな)
普通の水洗トイレは流れてしまえばそれまでなのであきらめもつくが、合宿所の便所は取れそうで取れないのでそれが悔しい。携帯電話でも落とそうものならさらに悲しいことになる。
しかし、初日の時点で大切なものをポケットに入れて入らないようにとの注意を受け、全員がその注意を遵守している。
とすると、トイレが原因とは考えにくい。
そう広くもない合宿所だ。食後ということも考えて、行き場はトイレか洗面所しか考えられない。
(食後だしな、顔でも洗って歯もみがいたんだろ)
そう考えて、自分もまだ歯を磨いていなかったことを思い出し、ふすまを開ける。
栄口の身に何があったのか、行って確かめた方がいいだろう。
「なんもないよなぁ……」
冷たい水で顔を洗えば、食後の満腹感に誘われた眠気も覚めてくれる。歯ブラシを動かしながら栄口が落ち込みそうな原因(例えば花瓶を落として割ったとか)を探すが、特に見つけられない。
いつもと違った所はないか、微妙な違和感はないか。
目を皿のようにして探すが、そう思えば思うほど違和感だらけのような気がしてくる。
今日のタオルの色はこんな色だっただろうか。もっと模様が幾何学的だった気がする。
朝その辺で摘んできた野草はこんな花だっただろうか。もっと白っぽい色ではなかったか。
ただ、そんな些細な違和感が栄口の落ち込みの原因だとは考えにくい。
(やっぱなんもないよなぁ……)
物思いに耽っていたおかげで、いつもよりも丁寧に時間をかけて磨いた歯はピカピカでツルツルだ。口をゆすいで後は部屋に戻るだけ。
磨いている間水を出しっぱなしにしているなんて、そんなもったいないことはしない。エコが第一だ。
西浦の合宿は別名エコ合宿とも呼べるかもしれない。食事作りに伴って出る野菜クズも何かしらの料理となって食卓にのぼり、さらに言うなら食べ残しもほとんどない。薪を割っては昔ながらのかまどでご飯を炊き、練習でついた泥は銭湯に行く前にちゃんと落とす。ゴミも汚れも出ないように徹底的に考えられたその工夫は、各自の使う消耗品(シャンプーや歯磨き粉)にも伺える。
(シャンプーは田島んちのだろ、歯磨き粉はオレ、洗顔は栄口のだったか)
最近は小旅行用のミニボトルなんてのも売られているが、一人ひとりがそんなものをいちいち日数分買っていては出費もかさむしゴミも増える一方だ。
合宿前の話し合いで、一人が大きなボトルを持参し、それを全員で使うという話がまとまった。もちろん自分のこだわりのあるものに関しては、自分で持っていけばいい。
毎日使うものだから、日数が長くなればなるほど量が増える。どう考えても各自が自分の分だけを用意するよりも、全体で大きなボトルを購入した方が安上がりだった。
さっきも顔を洗ったが、口をゆすいだついでにもう一度顔を洗ってみる。
「タオルタオル……」
手探りで歯ブラシの横に置いたはずのタオルを探る。
「おっと、やべ」
タオルを手に取った瞬間に、置きっぱなしにしている他の人間の歯ブラシをなぎ倒してしまった。
バラバラと流し台に散らばった歯ブラシを一本ずつ拾い上げながら、なんとなくだが不思議なものを見た気がする。
今になってやっと発見したたった一つの違和感。
「?」
(オイオイ。まさか、な)
歯ブラシに混じってポトリと落ちた歯磨き粉を手に取る。白いパッケージにそこはかとない違和感を覚える。
恐る恐る手にとって裏返した歯磨き粉のパッケージに書かれた文字は。
“すっきりさわやか 洗顔フォーム”
「………」
(コレ洗顔かよ……)
わざわざもう一度見て確認しなくても、手の内にあるそれは、紛れもない洗顔フォームだった。
(オレは洗顔で歯を磨いたってことか)
よくよく思い返せば、確かにいつも家で使っている歯磨き粉にしては爽快感が少なかった気はする。味もそう刺激的なものではなかった。
「何で気づかなかったんだ」
自分の持ってきた歯磨き粉と栄口の持ってきた洗顔フォームは、互いに白いパッケージが良く似ていたので間違えやすかった。部員からのブーイングを受け、向かって右端にあるのが洗顔フォームで左端にあるのが歯磨き粉と置き場を定め、今までそれで何の不具合もなかった。
だからこそ歯を磨こうと、自然と左に手を伸ばしたのだ。まさかこんなサプライズが待ち受けていようとは、露ほどにも予想していなかった。
「誰だ場所入れ替えたヤツ!」
前に使用した人間が、つい左右を置き間違えたということは考えにくい。意図的に置いたとしか考えられない。
腹は立つが、気づかなかった自分に対しても情けなさを感じてしまう。
(よりによって洗顔と歯磨き粉を間違えるなんて)
恥ずかしさのせいか、穴を掘ってもぐりこみたい気分だ。この場に他の人間がいなくて本当に良かった。
これで栄口の落ち込みにも納得がいく。おそらく栄口も、洗顔フォームと歯磨き粉を間違えて使ってしまったのだろう。あの落ち込みようを考えると、自分と同じように最後の最後まで気づかなかったのかもしれない。
「ちょっと待てよ」
栄口に続いて自分も間違えたということは、栄口は自分が間違えた後にその位置関係を正さなかったということだ。
「栄口のヤツ〜」
でも間違えたのが自分だけだと思うと、とても悔しいのも確かだ。
(オレもこのままにしとこう)
残された食休みは30分少々。食後早々に布団にもぐりこんだメンバーは、練習開始前に飛び起きて身支度を整える。もしかしたら寝ぼけた頭と目と思い込みに騙される人間もいるかもしれない。念には念を入れてちゃんと裏返しておく。
さあ準備は整った。次の被害者は誰だ?
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