二十歳を待つ





「ま、頑張れよ」

 いつもの口調でひらひらと手を振り、エレベーターホールに向けて歩き出した丈。行かないでくださいと言いたくて、言葉の代わりに伸ばした手が丈の背に届く。
「なんだ清音」
 掴んだ服に勢いをそがれた形で振り返った丈の顔を、清音は間近に見上げる。整った顔に浮かぶ、戸惑いの色とかすかな笑み。清音はそんな丈の頭の先から首元、そしてグローブから出た指までを穴があくほどまじまじと見つめた。
 清音の行動をいぶかしみ、首を傾けて「どうした?」と問いかける丈の体には、爆風で負った擦り傷などひとつも残っていないように見える。若干気だるそうな様子はあるものの、普段の丈を考えるとそれはいつも通りと捉えていいだろう。そのことに、清音は今さらながらひどく安堵した。
「清音?」
 用がないなら俺はもう行くぞ、と足を踏み出そうとした丈をさらに引き止め、清音は口を開く。清音には、どうしても丈から言質を取っておきたいことがあった。丈がこれから危険な相手を探して街に出ると言うのなら、なおさらだ。
「体は、もう本当になんともないんですか」
「そのことか」
 清音の視線を受け、丈は何ともないと示すためなのか、肩をぐるぐると回して見せる。
「ほらな、もうなんともねえよ」
「……本当ですか」
 重ねて確認すると、さすがに丈は「しつこいぞ清音」と目を細めた。とはいえ清音が本気で心配しているのが伝わったのか、それ以上は何も言わなかった。居心地が悪そうに頬をかいているところを見ると、自分にも落ち度があると思っているのかもしれない。
 今はこうして何ともないように立って歩いていても、半日前の丈は自分の力で体を起こすことすらできないほど衰弱していたのだから、清音が心配するのも当然だ。
「まだあれから半日しかたってません。もう少しゆっくりしたって……」
「バカ言うな。そんな暇あるか」
「だって……」
 食い下がる清音に、丈は「なんともない」と繰り返した。




 丈が倒れたのは、頭から血を流すはじめを救急隊員に託した清音が丈とうつつのそばまで戻ってきた直後のこと。互いの無事を確認し、トンネルの中で清音とはじめが何を見たのか、外では何があったのか。口早に情報を交換し合う中、ふと言葉を途切れさせた丈の体がぐらりと傾ぐ。おかしいと思ったときにはもう体が動いていた。
「じょ、丈さん?」
 とっさに手を伸ばしたものの、清音では体格の大きな丈を支えきれず、それでもなんとか手近な木の根元へ寄りかからせることに成功する。力なくぐったりと幹に体を預けた丈の顔には、およそ血の気というものが感じられなかった。
 驚き慌てる清音とは対照的に、丈は冷静に口調だけはまるで何ともないように「騒ぐな清音、大丈夫だから。とりあえずCAGEまで連れてけ」とだけ言って目をつぶってしまった。
「丈さん!」
 息を飲み、清音は急いで丈の口元に耳を近づける。焦る清音の耳には、小さいが、確かに空気の漏れる音が聞こえてきた。良かった、息はしている。もしかして見えないがどこかに怪我をしているのかもしれない。名を呼び、丈の頬を叩く清音をうつつが止めた。
「私がもらいすぎたの」
「……そうか」
 ぽつりとうつつが漏らした一言で、自分がいない間に何があったかを清音はすぐに理解した。見れば、そばで膝をついたうつつの顔色も決して良くはない。なぜそんな無茶をしたのかと荒げかけた声は、すんでのところで抑えた。
「うつつも無理しなくていい。休め」
「……うつうつします」
 丈の隣で寄り添うように、うつつもそのまま目をつぶってしまった。
 そこへ手当てを受け、「こんな大事故だったけど、怪我人は思ってたよりずっと少なかったみたいで良かったっすよね!」と嬉しそうにはじめが戻ってきた。その理由を説明してやることもできず、清音はNOTEを取り出した。
 パイマンに連絡を取り、丈とうつつを救急車に乗せる。途中で上からどんな指示が働いたのかはわからないが、救急車は病院ではなくCAGEの近くで丈とうつつを降ろしてくれた。ビッグスモールズらと一緒にエレベーターを降りた清音たちは、大量の花に出迎えられた。広いCAGE内を埋め尽くす、花、花、花。
 それはまるで、すぐ近くにある公園の花がすべてここに集められたかと錯覚するほど見事な光景で、圧倒されて何も言えない清音の肩を「おつかれさま」とO・Dが叩いた。そのまま清音の脇をすり抜けたO・Dは担架に寝かされたうつつの右手を取り、一輪の花を握らせる。花は清音が瞬きひとつする間にしおれてしまった。
「清音ちゃん、お花を持ってきてくれる?」
「は、はい!」
 やがて目を覚ましたうつつは花を枯らすことに少しだけ抵抗を見せ、それでも丈のためだからと大量の花を手に取った。自分の能力を見せたがらないうつつの、他から命を奪う姿を目にするのは初めてだった。
「すごいな……」
 枯れた花をせっせとゴミ袋に投げ入れる以外にできることがなく、清音は以前O・Dから聞いたうつつの能力について思い出していた。
 作り出した分身がダメージを受けることでもあれば、それは全てうつつ本体へ返り下手をすれば命に係わってしまうこと。癒しの力にしても、増やすことができるわけでないこと。自分の命を削って与えるか他者の命を仲介するかの違いがある程度で、分け与えた命は別の何かから補わなければそのまま失われたままなのだということ。
 抱えたゴミ袋の中で、色を失って薄茶色になった花がかさついた音を立てた。
「なあ新人」
「はじめっす」
「……怪我人が少なかった理由、わかったか?」
「……わかったっす」
 それからしばらく時間はかかったものの、CAGEを埋めた花が四分の三ほどにまで減った頃に丈は目を覚まし、「ありがとな」とうつつの頭を撫でた。うつつは口癖の「うつうつします……」ではなく、「ありがとう」とはっきり答えた。
 ほっとした空気がCAGEに流れ、今度ははじめに対するパイマンのお小言が始まった。ところがパイマンがいくら声を荒げても、当のはじめは暖簾に腕押し状態でまったく気にした様子がない。見かねたO・Dが「どうやってこれから対処すべきか、それぞれ考えましょ!」と言い出してその日はお開きとなった。
 夜が明けて朝になっても、清音の頭はガッチャマンの正体を明かしてしまったはじめと倒れた丈の姿でいっぱいだった。代わる代わる浮かんできては、座右の銘と掲げた「一意専心」の言葉を裏切って清音の気持ちをざわつかせる。



「今だから言えますけど、俺、丈さんのこと本当に心配したんですよ?」
「だから悪かったって。機嫌なおせ清音。な?」
 宥めるように清音の頭を撫でる丈を見ている限り、もう本当に体に不安はないのだろう。そのことを確認して、清音はようやく丈に向かって笑い返すことができた。その一方で、目の前で丈が倒れたあの光景は清音の脳裏にはっきりと焼き付いて、まだしばらく忘れられそうにないなとぼんやり思う。
 きゅっと音を立てて心臓が縮まり、続いて指先から足先からじわりじわりと血の気が引いていく感覚。周囲の喧騒から意識が切り離され、音は遠ざかっていった。NOTEを取り出した自分の手が震えていたことは、清音以外は誰も知らない。
 意識を失った丈の姿を見て、よくもあの場面で取り乱さなかったものだと自分を誉めてやりたいとも思う。うつつのおかげで丈が倒れた理由がわかったからこそまだ落ち着いて対処できたけれど、そうでなかったらあれほど冷静ではいられなかったかもしれない。
「あんな土気色した丈さん、俺はもう見たくないんです!」
 単純に寝ているだけの姿なら、今までに数え切れないほど見てきた。風邪を引いて、青い顔をしている丈のことだって知っている。ただ、丈の存在をあれほど希薄に感じたことは今までなかった。
「大丈夫だから、声は押さえろ清音」
 丈は唇に人差し指を当て、今しがた出て来たばかりの2号室を指差した。中にはうつつがいるはずだ。気遣えと言いたいのだろう。
「自分の力のせいで俺に何かあったらうつつが責任感じるからほどほどにって、O・Dからも釘刺されたよ。……まあ俺も実際やりすぎたとは思ってる」
「……それだけですか」
「それだけって言い方はないだろう」
「……もう一つだけ聞いていいですか。俺は、丈さんがあそこまでやった理由が知りたいです」
「お前だってわかるだろ」
 わかりませんと清音が首を横に振って見せると、丈は「一人の力なんて……」と言いかけて言葉を途切れさせた。清音はその言葉の続きを大人しく待つ。
「……いつ天井が崩れるかもわからないあの状況で、いちいち人を運び出してる余裕なんてあったか? うつつの力で回復した人に、自分の足で逃げてもらうのが一番手っ取り早い」
「それは……そうかもしれませんけど……」
「しかもあのうつつがせっかく自分から『助けたい』なんて言い出したんだ。それを尊重して利用しない手はない。違うか清音、良く考えてみろ」
「……違わなくはない、ですけど」
 確かに丈の言葉は正しい。得体の知れない力の介入があったとはいえ、結果的に死者は一人も出ずにすみ、それにうつつの力が一役以上も買っていることは紛れもない事実だ。どこも間違ってはいない。それなのに、丈の正しさは清音を納得させることができなかった。
 魚の小骨のような何かが清音の中に引っかかり、飲み込もうとしてもうまく飲み込めず消化できない。そんなささくれを起こさせている。
「それはわかります。結果的にあの状況で、誰よりもうつつの力が役に立ったってこと。でもだからといって、どうして丈さんがあそこまで命を削らなきゃいけなかったのか、その理由を俺は知りたいんです」
「別に理由なんてあるかよ。成り行きだ、成り行き。もうちょっといける……って思ってうつつに力貸してたらやばくなってただけ」
 俺も失敗したよなあと肩をすくめる丈は、決してはぐらかそうとしているようには見えないのに、清音はそれが丈の本心だとは思えなかった。何も思うことすべてを語ってくれとは清音だって考えていないけれど、その心がこんなにも見えないことが寂しくてたまらなかった。
「……まさか清音、俺があのまま死ぬとでも思ったか?」
「なっ、そ、そそんなこと、思うわけありません! 縁起でもない!!」
「だろ? だからお前が心配することは何一つねえよ」
 思いがけず具体的な言葉が丈の口から出てきたことに清音はまず驚いて、急いで否定する。そして泣きたくなった。なぜそんな気持ちになったのかは自分でもわからない。

 日常的に命のやり取りをしている丈や清音にとって、死はそれほど遠い存在ではない。ときには怪我をすることもあるし、清音のように運悪くMESSに取り込まれでもすれば、いつ救出されるともわからない。そんなことは他の誰よりも清音が一番よくわかっていた。自分自身を軽んじているつもりはないが、いざというときの覚悟のようなものならいつも胸の内にある。
 でも丈と清音は決定的に違うのだ。別個の意識を持つ人間なのだからそれは当然のことなのに、今さらながら清音はそのことを強く感じた。
 おそらく丈は清音よりも、もう一歩だけ進んでしまっている。もしもの瞬間を考えているだけはなく、実際にいつそうなってしまってもかまわないとすら考えているのかもしれない。だからあれほど簡単にうつつに命を預けられた。
 誰よりも頭が切れ、状況を正しく把握することのできる丈が、自分自身の限界を悟れないはずなどないと改めて清音は思う。やはりわかっていて、限界を超えて命を貸し与えたのに違いない。いつからそんな風に考えるようになっていたのかと、清音は目の前に立つ姿を見る。清音の記憶にある一番古い丈より、少し髪が長い。

 清音がガッチャマンになりたての頃、丈が戦っているのを後方で見ていて、一度だけ死角から出てきたMESSから丈をかばったことがある。それは丈にとって至極簡単に解決できた場面で、邪魔をした上に清音は怪我までしてしまい、包帯を巻かれた腕を抱えて申し訳なさに恐縮することしかできなかった。丈はそんな清音に礼を言い、続いてこっぴどく叱った。「自分を犠牲にする人間は、いざというとき誰のことも守れない」と。
 清音は丈から多くのことを教わってきた。だからこそ、清音はその教えと丈の行動に違和感を覚え、こんなにも胸のうちをもやもやとさせている。今の丈が清音を助けた昔の丈と違うことには、清音も薄々気付いていた。気付いていて、何もできないことはとても悔しく、できることならその支えになりたかった。

 MESSから助け出された瞬間、目の前に立つその姿は幼い清音の心に刻まれた。本来なら消去されてしかるべき記憶も消せないほど深く重く。清音は今の自分があることを丈のおかげだと何度も言ってきたけれど、もしかすると丈の“せい”だと伝えるべきではないのだろうか。
 まさか助けた少年が同じガッチャマンになるとは、さすがの丈も意図していなかったかもしれない。そうだとしても、清音は今確かにガッチャマンとなって丈のそばにいる。その責任を途中で投げ出すような行為はしてほしくなかった。
「いなく……」
 ならないでください。いつまでも俺の前で颯爽と翼を広げてください。赤い炎で、進むべき道を照らしていてください。――そう続けたかった言葉は、丈が現実に灯した炎によって遮られた。
 煙草を取り出し、火をつけて最初の煙を吐きだすまで。無駄な動きなど一切なく洗練された仕草は、いつ見ても思わずため息をついてしまうほど丈によく似合っている。出会った頃から変わらない、清音が好きで好きで、そして実は大嫌いな丈の姿。
 丈が一日に吸う本数はここ1〜2年で格段に増えている。表向きに取り繕った外での姿を清音は数えるほどしか見たことがないが、酒の量も同じように増えているのだと思う。そうやって、自分を大切にしていない様子がうっすらと透けて見えるのが、清音は嫌で仕方がなかった。
「清音」
「は、はい」
「質問は終わりか?」
「……はい」
「なら俺のことはいいから、お前はお嬢ちゃんとうつつについててやれ。これから大変になるだろ。あとうつつが俺の体調を気にしてるようだったら声かけてやれよ、セ〜ンパ〜イ?」
「……はい」
 言いたいことだけ言って去っていく丈を、清音は追わずに見送った。数メートルほど進んだところで丈が清音を振り返る。
「清音、今すぐ二十歳になれよ。はやく飲みに行こう」
「無茶ですよ丈さん。……でもあと少しですから待っててください」
「あと少しか。……わかった」
 今度こそ丈の背中がエレベーターホールへ消えて行くのを見届けて、清音は逆の方向へ足を向ける。丈には丈のやり方があり、清音には清音の担うべき役割がある。同じ目的を目指すからといって同じ道を進む必要はないことも丈から教わった。
 だから清音も、同じ方向を向くよりは背中を預けてもらえる存在になりたいと思い、それを目指してきたけれど。


 けれど今だけは、去っていく背中を追い、そのそばで同じものを眺めたかった。
 丈がそれを望んでくれるなら、その心の内を垣間見ることができるなら。
 早く大人になって、酒を酌み交わしたかった。



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   6話で銃を取りにマンションに戻った丈さんと清音が会話する場面の直後。
   丈さんが清音くんとお酒を飲みたがる後ろ向きな理由を考えていました。
   そうしたら清音くんが丈さんとお酒を飲みに行く日を心待ちにしている話になりました。

   トンネル事故の後からうつつちゃんの能力についてもいくつか捏造しています。



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