昼休みの小さな憂鬱




タマゴが先か、ニワトリが先か。
 綺麗な色目のおかずが詰まった弁当箱を前にして、沖は難しい顔でそんなことを考えていた。正しく持たれた箸の先には厚焼き玉子が少しの不安定さも見せずに挟まれている。
 人間は、利き腕が決まるのが先かな、それとも性格の基礎ができるのが先かな。
 いや、でも利き腕って生まれつきか。けどそう言ったら性格の基本的なところだって生まれつき決まってるんじゃないかな。親に似るとか言うもんな。じゃあどっちが先かって、遺伝とかそういう話になっちゃうのか? いやいや、なにも遺伝子レベルとかDNAとか、そんな壮大なことを知りたいわけじゃない。

 社会には、左利きよりも右利きの人間の方が圧倒的に多い。それは厳然たる事実なのだから、購買の自販機やら教室のロッカーのドアやらペットボトルの蓋やらはさみやら、左利きの人間にとって優しくない設計が多いのも仕方がないことだし、何よりもそれにはもう慣れている。その一方で、左利きであることが原因で、「ごめん」という言葉を口にすることには慣れないのもまた事実だ。
 ついさっきがそうだった。
 昼休み前の四限目の授業はグループ学習で、机を何人かで向き合せての授業だった。その時間、三人並んだちょうど真ん中に座っていた沖は、ノートを取る腕が隣に座る生徒と何度かぶつかってしまった。三回目の「ごめん」を言ったあと結局は左側に座る彼と席を交換してもらったのだが、そういうことがあるたびに沖は肩身が狭いような申し訳ないような気分になってしまう。彼はもちろん全然怒っていたり気にしている様子もなかったし、腕がぶつかるごとに謝っていたのは沖と同様だ。第一それは沖のせいでも、誰のせいでもない。そんなに恐縮する必要はないのかもしれない、とも思う。それでも迷惑をかけたというどこか憂鬱な気持ちが消えるわけでもなかった。
 そして、ふとその考えが頭に浮かんでしまったのだ。

(オレが気ィ弱いのは左利きが原因で遠慮することが多かったからだったりして。それとも弱気な性格でもどうにか主張させようって左利きになったとか?)

 タマゴが先か、ニワトリが先か。
 そういえば逃げ腰のやつのことスラングでチキンって言うよな…。うわ、いやな符合見付けちゃったよ。
 利き腕が先か、性格が先か。
 黄色い厚焼き玉子が、沖の疑問を笑うようにふるふると揺れた。


「なんでさっきから玉子焼き睨んでんの?」
 思考をかいくぐって真向かいから届いてきた声に、沖は思わずびくっと肩を揺らした。それでもしっかりと箸で支えている厚焼き玉子から目を逸らして顔を上げると、向かいに座った西広が不思議そうに沖のことを見ている。うまく説明する言葉が咄嗟には出てこず、沖は「なんでもない」と首をぶんぶん振ると、急いで厚焼き玉子を口の中に放り込んだ。噛むとじんわりとした旨みが広がる。沖家の厚焼き玉子は出汁巻きだ。それはいわゆるオフクロの味というやつでもちろん充分おいしかったが、沖は西広の家の甘い玉子焼きが好きだった。ももぐもぐと咀嚼しながらちらりと西広の弁当を覗き込んだが、残念なことに今日はその玉子焼きはないらしい。ごくんと玉子焼きを飲み込んで、どこか浮ついた頭で考える。玉子ってすごいよな。なんで甘いのにおかずになるんだろ。
 ただぼーっとしていただけなのに、西広には無言のまま自分の弁当を見つめている沖が物欲しそうな顔をしているように見えたのかもしれない。手元の弁当箱と沖の顔を順に見比べると申し訳なさそうに言った。
「あ! ごめんなー。今日玉子焼き入ってないね。沖うちの玉子焼き好きって言ってたっけ」
 その言葉ではっと我に返り、西広の顔を改めて見る。西広は、声の調子に反して明らかに笑いを堪えた顔で「代わりにこれ食べる?」とタコの形のウインナーを箸で指していた。
「別に玉子焼き欲しかったわけじゃないって!」
 これじゃ自分ちの玉子焼きが甘くないのがイヤで睨んでたみたいじゃないか。沖がそのあまりにもかっこ悪い理由を否定しにかかると、西広はぶはっと噴き出し遠慮なしに笑い始めた。
「わかってる…っけど! あ、はは! いま、沖すごい必死だった!」
 西広の笑い声に釣られ、沖も一緒になって笑い出してしまう。
「西広だって、タコ入ってるし! はは!」
 いい加減笑うと、沖と西広はふうーと二人同時に息を付いた。くすぐったい気分は残るものの、どうにか気分は収まる。再び箸を手に取ると、西広は早速そのタコのウィンナーを沖の弁当箱に出来た隙間にさっと置いた。
「くれんの?」
 そう聞くと、西広はまだうっすらと笑みが残った顔で「ソレ、ウチの妹の一押し」と頷いた。その妹がまだ小さいからだろうか、西広の弁当箱にはたまにびっくりするくらいかわいらしいおかずが入っている。もっともそれだけで高一男子の胃袋を満足させられるわけもなくて、その横にはしっかりメインのおかずが収まっているのだけれど。西広によると、妹は彼女なりに兄に気を遣って、タコのウィンナーや星型にかたどったハンバーグを西広の弁当箱にも入れるように母親にねだるらしい。「お兄ちゃんのお弁当がかわいくないのは可哀想だって思ってるのかも」と、ため息をつきながらのわりにはまんざらでもない顔をして言っていた。歳の離れた妹が可愛くて仕方ないというのがよくわかる。
「タコウィンナーって久々に食べるよ、オレ」
「さすがにこれは恥ずかしいよ。うさりんごの侵入はどうにか阻止したんだけどなあ」
 うさりんご、という単語にまた沖がくすくすと笑いを洩らすと、狙い済ましたような落ち着いた西広の声が、ついさっきとほとんど同じ言葉を繰り返した。
「で、なんで玉子焼き睨んでたの?」

 さんざん笑ったせいで沖の中にあった憂鬱はすっかり吹き飛んでいる。だから少しだけ言葉を変えて西広に聞いてみた。
「あのさ、オレが気ィ弱いのと左利きって関係してると思う?」
 自分自身を気弱と言うことの気恥ずかしさに視線は関係のない方へと逸れ、声は自然と小さくなる。返事がないので横目で窺うと、そこにはきょとんとした顔があった。西広はその顔のまま何度か瞬きをした後、やっと口を開く。
「そんなの…。全く関係ないとは言えなくても性格が決まるのには他の影響の方がずっと大きいんじゃないの? 第一沖ってそんなに言うほど気ィ弱い?」
 西広の答えに、今度は沖の方がきょとんとしてしまった。
「え、弱い、と思うけど…」
「まあ田島とか阿部とか見てるとね、オレだって気小さいなあって思うけど。でも気が強いとか小さいとか、そうゆう一言だけじゃ片付けらんないだろ? 性格でも何でもさ。左利きと気が弱いっていうのは沖の一部かも知んないけど、でもそれが全部じゃないんだから、そこだけ取り出して考えるのも意味ないんじゃないの? 自分のいいとこ全部無視しちゃってるよ、それじゃ」  西広の声は変わらず落ち着いていて、それはすんなりと沖の中に広がる。そっか、そうだよな。そりゃそうだよ。どっちが先か、なんてもっと意味のないことだ。そんなの答えがあるわけないんだから。タマゴとニワトリの関係と同じ、切り離して考えることもできない。いろいろ全部ひっくるめて、オレを作る要素なんだ。
 さすが西広良いこと言う! 黙りこくった沖に西広が「どうしたの?」と心配そうな声を掛ける。沖はそれに対し、何も言わないまま尊敬と感謝の意味を込めて厚焼き玉子を西広の弁当箱にぽてんと落した。首を傾げる西広に沖は笑って言った。
「さっきのお返し! それにいまの西広の言葉でなんかすっきりしたし」
「すっきり?」
「うん。どっちが先とかないよなって話」
「うーん? よくわかんないけど、役に立ったなら良かったよ」
 そう言って西広は厚焼き玉子を口に運んだ。その様子をホクホクとした気分で見ながら、沖は西広に聞いてみた。正しい答えがあるわけじゃないのは知ってるけど。ちょっとだけ自分と重ねて考えられたことが嬉しくて、聞いてみたことだった。そう、答えはない、はず。
「西広はさ、タマゴとニワトリどっちが先だと思う?」
「あ、それって答え出たんだよね。タマゴだって」
 あっさりと返ってきた正解に、沖の中で小さな何かがこてん、と崩れた。

 タマゴが先。そうだよね。タマゴだしね。玉子は偉大なんだよ。甘くてもしょっぱくてもおかずになるし。それに比べてニワトリって所詮チキンだしさ。でも、でもいま、オレの中でちょっとかっこよくまとめてたのに! …恥ずかしいから言わないけど。

 沖は自分の中で一方的に裏切り者認定したタマゴに恨みを晴らすべく、ひとつ残った厚焼き玉子をぱくんとほお張った。西広がおかしそうに言う。
「結構顔に出るのって、沖のいいとこだと思うよ、オレ」




2008/4/18



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レインボウのマツヤマハナ様にいただきました!
先日私が20000Hit のリクエストを募集した所、マツヤマハナ様がリクエストしてくださったのです。
書き上げてあつかましくもそのお話を進呈させていただいたところ、なんとお返しをくださるとのこと!(太っ腹です!)さらにあつかましくも、「沖くんのお話をお願いします!」なんていうお願いをしてしまいました。そしていただいたのが沖くんと西広くんのお昼休みのお話です。
せっかく納得できたのに少しがっくりときた沖くんと、盛り上げて落とした西広くんのコンビが愛しいですね(笑)「こてん」と崩れても落ち込みすぎない沖くんは、やっぱり前向きだなぁと思います。
ありがとうございました!